国際法では戦争は「罪」ではない ―反対派の暴論

憲法9条改正が現実味を帯びてきた昨今、9条と戦争にまつわる論考が各所で盛んだ。先だっては松本、北村両氏の歴史認識に意義を申し上げたが、今度は田原総一朗氏が、安倍総理が「侵略の定義はまだ定まっていない」という発言にワシントン・ポスト紙が「歴史を直視していない」と批判し、同様にイギリスフィナンシャルタイムが 「支持率の高さを受け、本性をのぞかせた」 と「経済政策に集中すべきだ」と苦言を呈したことについて、だが僕は、安倍さんの言動はともかく、 両紙の批判は間違っていると考える。長年、僕は日本の近代史を 取材してきた。 その結果、満州事変、日中戦争は 日本の侵略だったという結論に達した。 しかし、太平洋戦争は違う。 太平洋戦争は、「侵略国」である、 イギリス、アメリカなどの連合国、 そして同じく「侵略国」である日本との 闘いだった。 当時、イギリスもアメリカも、そして日本も 植民地を「持てる国」だったのだ。

と日本は中国を侵略した国であると断定した認識を示した。一見日本の立場を擁護しているかのようないい方ではあるが、結論は中国に対して侵略したといういわゆる自虐史観という従来の歴史認識だ。氏はこう続ける。
『ワシントン・ポスト』は、 「あの戦争はアメリカにとって正しい戦争だった」 という前提で安倍さんを批判した。 日本という「悪い国」を、 アメリカをはじめ連合国が やっつけたということなのだろう。 だから敗戦後、日本人は次々に 戦犯として裁かれた。 極東軍事裁判では、 「平和に対する罪」という罪名のもと、 A級戦犯が処刑された。
これもまた間違っている、 と僕は考えている。 そんな罪は、太平洋戦争の 前まではなかった。 連合国側が「平和に対する罪」を作り、 そして過去にさかのぼって、 日本を裁いたのだ。 今でいえば「事後法」で、 そんな裁きは到底、許されることではない。だが、その裁判の結果を 日本は受け入れた。 受け入れたことで日本は、 1951年、独立を認められる。 敗戦した国は弱いのだ。
細かいことをいえば批判できるが、対米英戦争(大日本帝国は国会でこの戦争を大東亜戦争と呼称するように決議したので公式には大東亜戦争が正しいが)を自衛戦争として肯定していること、及び極東国際軍事裁判がインチキだといっていることは評価できる。この論考を木走正水(きばしりまさみず)氏は批判をしている。
この国の言論界に影響力を持つ著名ジャーナリストのお1人・田原総一朗氏ともあろう人が、戦後日本が受け入れて独立が認められた極東軍事裁判の結果を、そしてここまで60年間曲がりなりにも国際的には平和裏に経済発展してきたことを支えた外交姿勢の中核である対米追従政策を、ここにきてアメリカに逆らいちゃぶ台返しせよとおっしゃるのでしょうか?戦後、先達達が敗戦国として焼け野原から数々の苦難を乗り越え、守り発展させて来た敗戦国日本の外交努力を、このタイミングで、アメリカに逆らって完全にひっくり返す。本気ですか。今の日本にとってこのようなキナ臭いことに優先順位を高めるべきではないし、アメリカと歴史的な価値観を根本から争うようなこと、いまの日本にそのような覚悟も余裕もないわけでしょう。

この人は歴史認識と法の正義を混同している。さらに、
安倍政権に強く警告したいです。穏健保守を自認する私は、アベノミクスを積極的に支持していますし、領土問題では中国に対しても韓国に対しても日本は妥協せず毅然と対処すべきであると思っています。だがしかし、戦後レジームの脱却、そこから帰着する極東軍事裁判結果の評価の見直し、アメリカをはじめ戦勝国を敵に回すような大立ち回りをこのタイミングで目指すとするならば、安倍政権の高支持率は急降下することは必定でありましょう。 
田原総一朗氏に反論しておきます。いまの日本には、アメリカと歴史的価値観を争うような覚悟も余裕もありませんし、そのようなことを今アメリカに強く主張することが、日本の国益に沿うとは到底思えません。
東京裁判については多くの(ほとんどと言っても過言ではない)国際法学者から批判がありオーストラリアの弁護士エドワード・セント・ジョンなどは広島に国際軍事裁判を設置したという仮想法廷で、ドレスデン爆撃による残虐行為でチャーチルをポーランド、バルト3国、フィンランド、及び日本に対する殺戮行為でスターリンを、また広島、長崎に対する殺戮行為でトルーマンを告発し有罪としている。

特に木走正水氏は「アメリカと歴史的価値観を争うような」とことをいうと、アメリカと戦争になるという非常に幼稚な理論で安倍政権に強く警告したいですと述べているが、"war of aggression"の定義、さらにそれが犯罪であるという法理は現在まだ成立していないというのが多くの有力な国際法学者の間の見解なのだ。なので安倍総理は「定まっていない」と事実を述べたのだ。どやら木走正水氏のロジックだと科学的事実を首相が述べると戦争になるらしい。

また木走正水氏のエントリーに「戦争の総括について」というエントリーで津上俊哉氏が木走正水氏を補完するかたちで批判している。
これは「日中戦争は侵略で申し訳なかったが、太平洋戦争は『普通の戦争』で、悪びれるところはない」といういわゆる「二つの戦争」論だ。
真珠湾攻撃のニュースを聞いた少なからぬ日本人が「カラリと晴れた」気分になったというから、当時もいまもそう考える日本人は多いのだろう(かく言う私も昔はそう考えていた)。でも、「二つの戦争」論は日本人独特の史観で、百回唱えても他国に理解されることはないと思う。世界通用の理解は、日本の対中侵略が(植民地が多数残 存していた当時の感覚からしても)許される限界を越えてしまったことが「太平洋戦争」を導いた、ということであり、「あの戦争は(連続した)一つ」なので ある。
相変わらず世界通用の理解は、日本の対中侵略が…、と自身の理解が世界標準であるかのような記述をされているが、もし支那事変が侵略戦争(繰り返すが国際法には「侵略」という概念はない、日本語訳だけが恣意的に「侵略」という言葉を使っている)であるならば、国連加盟国のほとんどが「侵略」 国になってしまう。国際法では侵略戦争(外務省訳)のことを"war of aggression"で、「相手国の正当な権利を侵害するかたちにおいて相手国を攻擊すること」ということだ。侵略の意味する「侵入して略奪すること」ではない。

さらに不戦条約下において行われた第二次世界大戦は全て自衛戦争である。それは不戦条約を批准するにおいてアメリカは「自衛戦争」かどうかはアメリカ(自国のみ)が決定できるという条件を各国に求めた。つまり大東亜戦争は開戦の詔勅で、
帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
帝国の存立も、まさに危機に瀕することになり、ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない、と宣言したわけだから、不戦条約に従って自衛戦争をしたのだ。もちろん満洲事変をも含んで「日本が侵略をした」とは国際法では証明できない。それどどころか、"war of aggression"は不戦条約では不法行為となりましたが(それすら反論があり不法行為ですなないという学者もいる)犯罪ではない。元通産官僚の津上氏は不法行為と犯罪の区別すらできていない。

津上氏は、
2)極東軍事裁判が「平和に対する罪」という事後法でA級戦犯を処断したのは間違っている
この論法の最大の問題は、極東軍事裁判が、敗戦国日本が選び取ったディールだったことを等閑視する点である。もちろん喜々として選んだ訳ではなく、やむを得ざる選択ではあったが。それは戦争の責任追及を最小に限定するためのディールだった。当時の日本のエスタブリッシュメントの心情としては、昭和天皇の責任追及を避ける(国体護持)というのがいちばん大きかっただろうが、それだけではない。寛大な講和条件で、しかも早期に主権を回復して国際社会に復帰するため、というのも大き かった。逆に言えば、敗戦後、米国を始めとする連合国側に向かって「日本は悪くない」と言い張れば、昭和天皇は処刑されていたかもしないし、賠償は軽めの 「役務賠償」(日本経済にとっては「特需」だった)などでは済まず、占領(“Occupied Japan”)が永く続いていただろう。そうなっていたら、戦後の日本国民はどれほど苦しんだか。その意味では、戦前、マスコミの煽動に乗って、「対中進出」を好戦的に支持した日本国民を免罪する意味もあった。そういうディールにするために、当時のエスタブリッシュメントがやったことは、生贄(A級戦犯)を差し出すことだった。戦犯調査に当たっていた占領軍当局には、A級戦犯たちの責任の重さを断罪する大量の密告が届いたことを、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」が活写している。A級戦犯たちは、占領軍だけでなく、同胞による見えない包囲網がジワジワと狭められていく(「罪をかぶって死んでくれ」)のを感じていたはずである。
津上氏には国の名誉ということは頭にないらしい。法の正義はどうなるのだろう。個人は名誉はどうなるのだろう。もし氏のいうところのエスタブリッシュメントの心情、國體護持がなったのであれば今度は故人の名誉を回復に努めるのが子孫の義務ではないだろうか。
戦後日本は、昭和天皇にも一般国民にもあった戦争責任をA級戦犯にかぶせて復興を図った。そのディールで復興を遂げて経済大国に復活したいまになって、一 部の政治家のように「あの戦争は自衛戦争だった、日本は悪くない」と言うのは、レストランで出された食事を平らげ勘定を済ませた後で、「自分が食べたかっ た料理じゃなかった(金を返せ)」と言うようなものだ。占領当時にそれを言っていたら、いまの日本はなかった。当時そう思ったからこそ、ディールしたのが 我々の先代ではないか。疚しいのは当たり前だが、疚しさから逃れるために、いまさら「日本は悪くなかった」と言うのは卑怯だ。
昭和天皇にも一般国民にもあった戦争責任と断言しているが、戦争責任と敗戦の責任を混同している。戦争責任なるものはいかなる定義でいっているのか、それは開戦の責任か?はたまた戦争そのものに対する責任か?東條大将は「敗戦の責任はすべて予にある」といったが、「戦争の責任」とはいっていない。それでは国家の命令で戦争した戦闘員すべて責任はあるのか?あるわけがない、ましてや一般国民にあるわけもない。官僚が失敗した政策は国民にもその責任があると元官僚がいっているわけであきれてものもいえない
田原氏が言う「あの戦争の総括」はやったらよい。しかし、それは、極東軍事裁判が敗戦国日本が選び取ったディールでもあった重い歴史を振り返るものであるべきだ。
国民が語る歴史は物語でも構わない。しかし国家となればそうはいかない。歴史的事実と真実は違うかもしれないが、法的な事実は確定可能だ。極東国際軍事裁判所は管轄権の問題、法手続きの問題、公正さの問題(同じ罪で連合国側は全く訴追されなかった)。裁判所条例の法的根拠など裁判所の正統性が全く整っていないものだ。

津上氏がいうように敗戦国日本が選び取ったディールだったとしても、後世の私達がその汚名を晴らすことはむしろ義務だ。連合国によって処刑戦死(国際法では講和条約締結時までを戦闘状態とするので戦死がだとうだろう)された方々はきっとそれを望んでおられるだろう。

三者は三者とももしかすると日本を擁護、国益の伸長を考えておられるかもしれないが、その根拠となる国際法の認識と開戦の詔勅に宣言された日本の戦争目的をもう一度見直されたほうがいいのではないだろうか。

「おっしゃ Let's 世界征服だ~」 と歌う、きゃりーぱみゅぱみゅのインベーダーインベーダーは事後法で侵略的思想だとなり死刑判決を受けた。そんなジョークが極東国際軍事裁判所の諸判決なのだ。

参考
世界がさばく東京裁判

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