日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと 

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと ー戦後の日本の解体は『菊と刀』から始まった 高橋史朗

WGIP ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program をご存じの方は多いと思う。大東亜戦争に敗れ、我が国は、歴史上初めて他国の占領を受けることになる。占領当初、我が国指導者の目的は、いや日本国民すべてが、連合国による天皇陛下の処刑阻止にあったと言っても過言ではないだろう。評書は第3章で、昭和天皇の処刑を阻止するために、多くの婦人たちの力があった逸話を挿入しながら、WGIPについて新事実も含め詳細に分析を試みている。

誰が陛下の処刑を止めたのか

当初米国上院は、昭和天皇を戦争犯罪人として処刑することを全会一致で可決しており、マッカーサーは議会から、昭和天皇に戦争責任ある証拠を集めるように命令されていた。しかしフェラーズがマッカーサーに、
天皇を戦犯として裁判にふせば、日本全国に暴動は必死であろう。もし天皇を廃せば、全国的暴動が必死であって、特別警備区以外の白人は暗殺を免れない。
 覚書を出すと、マッカーサーも態度を一転、米国陸軍に対し電報を打つ。
天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺がが引き起こされるだろう。その結果、もたらされる事態を鎮めることは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤慨は、間違いなく未來永劫に続くであろう。―中略―そのような事態が勃発した場合、最低100万の軍隊が必要である。軍隊は未來永劫駐留しなければならない。―後略―
これによってこれによって米国政府は昭和天皇の訴追をやめることになる。これは比較的著名な事実だが、評書ではもう一つ、昭和天皇処刑方針を転換するにあたり、重要な事実を紹介している。それは伊藤たかさんという婦人が、マッカーサーに宛てた直訴状、手紙だという。そして日付のあとには署名血判が押してある。当時の右翼はそのような直訴状を出していないということ、直訴状を出したのは婦人ばかりだという事実を紹介している。
マッカーサーは昭和天皇と会見し、昭和天皇の "You may hang me" という言葉によって心動かされ、フェラーズの覚書、伊藤たかさん等、日本の婦人たちの直訴状、そして陛下との対面によって、最終的に昭和天皇処刑は取り消された。

なぜ道徳教育は復活しなかったのか 

また評書の筆者は教育の専門家であるだけあり、専門分野からの貴重な報告をしている。それは米国国務省が下した、終身の教科書への評価についてだ。米国国務省は開戦前に日本占領のための分析が終わっており、終身教科書の分析を、日本語をローマ字化しようとしたことで著名な、キングホールを中心に行わせていた。
 キングホールの報告は、戦前の終身教科書は、昭和8年改訂の第4期終身教科書が超国家主義的で危険であるという結論だった。 そして、それ以前の終身の教科書に戻せば、教科を廃止する必要はないと報告している。
 さらに昭和20年1月、ロッカードとエハレットが緻密な調査を報告している。彼らは終身の教科書に掲載された説話の分析を行い、「社会国家への奉仕」を扱ったものが20、「家族愛」が18、「忍耐」が8、「遵法」「忠誠」「健康」「清潔」が5、「信頼」「節約」「正直」「勇敢」「独立心」が67あり、3分野に分けられ、「子供の望ましい行動様式に関するもの」、これは年齢相応したのもで、占領軍に悪影響をおよぼすものではない、次に「天皇に関するもの」で、これは皇室が維持され、占領軍が利用できるのであれば不利な効果を及ぼすのもではない、最後に「社会や国家に対するもの」で、これは米国の教材と大差はないので、
よって終身の教科書は中庸な国家主義的な教養を含むものであり、忠誠・奉仕・過去の英雄や軍事の犠牲などが若者の模範として用いられていることは当然である。
という報告をしている。しかし現実には終身の教科は廃止され、その結果戦後教育を受けたものには、修身は戦争につながる、というステロイメージを植えつけた、と筆者は指摘している。このように大半は無害と報告がされていたにも関わらず、終身教科が廃止されたことの経緯について、まだまだ研究の余地があると指摘している。

もし、「アメリカの鏡・日本」が出版されていたら

3章にはもうひとつ重要な指摘がなされている。それはヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」をマッカーサーが発禁にした理由が、マッカーサーの書簡によって明らかになっている。アメリカの鏡・日本は、戦争犯罪人としてフィリピンで裁かれた、山下奉文大将の裁判と、原爆投下を鋭く批判している。また、日本が侵略したというけれど、世界は侵略の歴史ではないか、とも述べている。日本の出版社が米国の版元へ出版のオファーをすると、版元はGHQに対応を求め、マッカーサーはCIEのブラウン課長に回答書を作成させた。マッカーサーは、
私はいかなる形の檢閲や表現の自由の制限も嫌悪している。しかしこの著作を検討したが、この本はプロパガンダであり、公共の安全を脅かすものであって、占領下の日本でこの本を出版する正当性は認められない―後略―
として、アメリカの鏡・日本は、当時の日本人の目にとまることなく闇に葬り去られた。アメリカの鏡・日本とともに発禁になった本に、A・フランク・リールの『山下裁判』がある。A・フランク・リールは山下裁判の山下奉文大将弁護団の一人で、裁判の手続きや手法に疑問をいだき、本を出版するに至ったのだが、GHQが日本国内での出版に圧力をかけたことが、米国内でも話題になり、タイムやニューズウイークといった雑誌が、トルーマン大統領に公開質問状を提出した。しかしブラウンはそれらも押切り、発禁にしたのであった。

義眼はどのように影響したのか

評書の筆者は占領中、民主化の美名によって、日本人にはめられた義眼は、そのまま戦後教育によって大きく反映され、 戦後民主主義として復興日本の土台になってしまったと指摘する。それは本来のデモクラシー(民主政体)とは全く違う、我が国独特の戦後民主主義へと発展したと、評者は考えている。
 第2章で詳しく分析される、ハロルド・ラスエル博士の研究、その影響を受けたジェフリー・ゴーラーの論文と、それらを唯一の参考として書かれたルース・ベネディクトの『菊と刀』を土台とした、歪んだ日本人像によって、策定された日本占領計画によって実行されたWGIPは、日本の精神的伝統を破壊した。それは今日まで続くことになった。
 また義眼は戦後教育の指針となった新教育指針に色濃く反映される。新教育指針を策定した当時の文部省教科書第2編集課石山課長は、このように無念を述懐している。
「三分の一は、アメリカがかけと言われたのでそのまま書き、三分の一は両方で話し合って書き、残りの3分の1は私の考えで書いた」
義眼は当時の政府あるいは新聞社ばかりではなく、教育にもその影響が及び今日、私達日本人の目となり、そこから「戦前はすべて悪」という記憶が刷り込まれることになった。

教育勅語はどうして廃止されたのか

評書の筆者はアメリカ留学中にプランゲコレクションを整理するアルバイトをしたことが、占領史研究の始まりだとしている。その時発見したのがジャスティン・ウイリアムズの文章だという。ジャスティン・ウイリアムズはGS(GHQ民政局)の国会課長で、彼が衆参議院の文教委員を呼びつけ、口頭で教育勅語を廃止を命令した張本人だ。その本人のメモを筆者は留学中見つけたのだから、神は筆者に占領史を解き明かせと命じたようなものだ。

その文章にはケーディスのメモがあり、"Let's go amended ink" とあった。昭和23年6月19日に教育勅語の失効排除決議をするのだが、その決議文は当初「詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に対し疑義なしとしない」となっていた。

筆者が発見した文章は「なしとしない」という、官僚独特な曖昧な表現で、とりようによっては「あるともいえるし、ないともいえる」という意味だった。英語表現では "might" が使われていたが、ジャスティン・ウイリアムズは消し、ケーディスがそれを支持した訳だ。そして決議文は「国際信義に対し疑義がある」という断定になってしまった。この断定によって、法的拘束力のない勅語が憲法違反の詔勅になってしまったわけだ。

さらに教育基本法の制定過程でも、勘違いと言葉の壁によって、教育勅語が否定されたことを指摘している。筆者は教育基本法制定に関わった関係者にインタビューをしているが、彼らは口々に「私達は教育勅語を否定していません。

教育基本法には教育勅語の精神が引き継がれているのです」と証言することが理解できなかったとしている。当初教育基本法案の前文に「伝統を尊重して」という文言が入っていた。しかしJ・C・トレーナーというCIE教育課長補佐が削除を命じた。筆者は本人に、何故削除したかをインタビューすると、
「自分は意味がわからなかった。日系人の通訳にどういう意味かと聞いた。すると通訳は "伝統を尊重するということは、封建的な世界に逆戻りするという意味です" と言った」
教育勅語はこの誤訳によって葬られてしまう。教育基本法制定過程の国会議事録には「教育基本法法律、教育勅語は道徳」という答弁を、文部省が想定していたことが残されている。

そして戦後教育は憲法違反になった教育勅語を廃し、180度転換したという解釈のもと始められ、今日まで日本人を反日思想毒に冒すことになる。戦後教育は道徳心、道徳観なしの唯物教育に陥ってしまい、さらにそれが法律として教育者を拘束することになった。第4章ではそれらが今日の教育現場にどのような影響を与えたかが語られるが、それらは皆様が評書を手にとってご確認頂きたい。

教育の崩壊は家庭にあった

日本の戦後民主主義は義眼をはめられた国民とその国民の代表によって行われてきた。彼らの中には日本を断罪するものもいた。また義眼を外すことが出来ず、ただ謝罪をすることしか出来ない為政者もいた。宮沢喜一、河野洋平、村山富市。それでも戦前教育を受けていた国民やその代表がいた時代はまだ良かったが、その世代が現役を引退し始める21世紀初頭から日本の国政と日本人が顕著におかしくなった。

筆者は第6章で「日本再生への取り組み」として家族再生から教育再生の項で、筆者は、親学のすすめを提案している。会社の社員心得があるように親にもその心得を学ばせる必要がある。それは科学的知見で日本人が行っていた躾や道徳観がなんら、恥じることがないことを立証し、甦らせる必要があると、力説する。 たとえば、明治時代の小学校の教科書に、「賢母の家庭」、「西洋諸国小学校の欠席」、「保護者の注意」という項目があり、保護者の注意の中には、
教育の道は、家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教で身が成ると申す
という諺が紹介されていることを特筆する。さらに、「西洋諸国小学校の欠席」という一文に、
独逸を其重きものとして、西洋諸国にては、通例小学校生の欠席は、之を其父兄、若しくは保護者の罪に帰し、謂はれなく、学校を休ましむる時は、科料若しくは禁錮の刑に処するなり
当時独逸では学校を欠席させると罰金を科していたことを紹介する。現在でも米国、英国、仏国など先進国ではそういう考え方の上に立っているという。また賢母の家庭では、子供が学校に行かない場合には頭で押し付けるのではなく、学校に行かなければどうなるかを実感させることが「賢母」だとしていたという。女性に対する、価値観の押し付けだ、として良妻賢母を否定している現代では望むべくもない。

特に西洋諸国小学校の欠席で示される、子供が学校を休むことへの責任の所在を社会が明確化し教育の重要性を両親に示しているという、例を教科書が示しているのは、明治日本がデモクラシーを実践するためには、国民の教育が大切であるということを、認識していたことを物語る。英国のノブレス・オブリージュのように、国家への忠誠心、社会への奉仕心なくば、近代デモクラシーは成り立たない。道徳教育なしの戦後民主主義では国家は迷走するばかりだ。

 米国カリフォルニアやシアトルでは、子供が学校を休むと罰金3千円もしくはその分のボランティア活動をシなければならない。英国では子育て命令法という法律があり、 違反した場合、罰金25万円、滞納すれば禁錮刑に処され、子供が更生するまで1年間の講習を義務付けているという。

仏国では義務教育を放棄した場合、2年間の禁錮刑、350万の罰金のほか、月に4回以上理由なく学校を欠席すると9万円の罰金を科している。政府及び議会はこのような研究の成果、諸外国の制度を取り入れ、国民が失った歴史観と道徳心を取り戻す努力を惜しむべきではない。

いわゆる従軍慰安婦象の設置問題なども、このような研究者の地味ながら真摯な努力を反映させなければ、解決など出来ない。先出の為政者、宮沢喜一、河野洋平、村山富市等、義眼をはめたまま、それを外す努力をしない者達のために、日本の名誉と利益が失われたことか。

研究の成果を政府、議会はなぜ生かせないのか

終章「占領文書二百五十万ページ研究への挑戦と成果」で筆者は、初心に帰るため、再び米国へ占領文書の研究に迎い、岸本英夫氏の日記を発見した。数十年前に本人へのインタビューを試み、日記の所在がわからないとの回答だったという。

岸本氏は占領当時東大の助教授でGHQの顧問をしていた。昭和20年10月から12月にかけて、GHQはいわゆる4大指令を発する。日本教育制度に関する管理指令、教員及び教育関係者の調査、除外、許可、神道指令、終身、日本の歴史及び地理の停止だ。岸本氏は神道指令の原文をGHQバンス宗教課長から手渡されると、「ここだけが問題だ」と一文を指摘したという。そこには教育勅語の廃止が書かれていたのだ。

さらに国体という言葉も削除をアドバイスしたという。草案がマッカーサーの手元に提出されていにもかかわらず、岸本氏のアドバイスを聞き入れた、バンス宗教課長は奔走して国体という文言を司令部に削除させたという。

これらの証言、記録が物語るのは米国が占領時に何をしやうとしたか、そして何故それをしたかだ。全ては神道と日本人の教育を、超国家主義的、軍国主義的と誤解したということだ。淵源は先に示した、第2章で詳しく分析される、ハロルド・ラスエル博士の研究、その影響を受けたジェフリー・ゴーラーの論文と、それらを唯一の参考として書かれたルース・ベネディクトの『菊と刀』を土台とした占領政策なのだ。

それは誤解と偏見、誤訳によってもたらされたことが、研究者によって明らかになった。つまり占領政策は科学的に間違っていたのだ。にもかかわらず未だ義眼を外せない日本と日本人なのだ。政府議会はまず、これらの研究を真摯に受け止めて、占領政策を見直し、それらをまず白紙も戻すことから始める必要がある。

日本と日本人の教育観、躾、親子関係を再考しない限り、日本の子供たちの崩壊は止まらない。引きこもりの割合が最も多いのが30代で46%だという。働き盛りであり、結婚、出産、育児をしなければならない年代が、引きこもっていては、日本は政治も経済も、最終的には日本文明が、いずれ立ち行かなくなるだろう。

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