思考と行動における言語

思考と行動における言語は意味論の第一人者S.I.ハヤカワ氏の名著であるが、言語の正確な役割を理解するうえで参考になる。ハッキリと考えることを学び、より有効に話し、書くことを学び、より高い理解をもって聞き、読むしかたを学ぶ、こういったことこそ、言語学習の目標である。この本は、これらの伝統的な目標に、現代の意味論の方法(=人生における言語の役割を生物学的に機能的に理解し、また言語の種々の用途を理解する)でせまる。この本の著者たちが提唱する、一般意味論の土台にある倫理的仮説は、「協同は衝突よりも好ましい」であり、人間の協同の道具としての言語を活用すべきであるというものだ。一方、自分の言語に関しては、批判的な態度を持つ必要がある。なお、一般意味論の知識は、単に知っているだけでなく、常日頃の活動で『活用』することに価値がある。

第1部 言語の機能

1.言語と生存

人間は先人の知恵である膨大な知識を蓄積し、無料の贈り物として後世に伝えている。文化的・知的協同は、人間生活の大原則である。表面的には競争原理で世界が動いているように見えるかもしれないが、その深層にある協同原理を知らないといけない。社会が協同するための必要な努力は必ず言語により達成される。われわれは、言語に囲まれているが、そのことを意識していない。しかし言葉により思考は影響を受けるので、自分の意味論的環境に注意すべきである。言語の使用が不一致と衝突を作り激化させた場合には、話し手か聞き手か、その両方に欠陥がある。

2.記号

人間は記号を使う。例えば「劇の悪役を観客が射殺する。」ように、記号に拘束されてはならない。われわれは、現実的経験世界(外在的世界)と言語的世界(『地図』の世界)の二つの世界に住んでいる。『地図』は『現地』ではない。『地図』なしに文明の進歩はないが、『地図』の限界も弁えるべきである。われわれの、アヤマリは二つの経路から生じる。一つは、「人から間違ったものを与えられる。」もう一つは、「自分で読み違える」である。

3.報告、推論、断定

情報交換の基本は報告である。報告は以下の2条件を満たすべきである。

1.それが実証可能でなければならない
2.できるだけ、推論と断定を排除しなければならない

現実に、全てを実証することは難しいが、出来る限りの努力はすべきである。報告の原則は事実の叙述であり、推論は出来るだけ排除すべきである。ただし、推論も必要になる、その時には、「最低自分が推論していることを意識して」記述すべきである。断定は、自分の価値観が入るので、できる限り排除すべきである。論文を書くとき、頭の部分で断定を入れると、それ以降が書けなくなる。事例を多く書けば、長い論文は直ぐにかける。

断定には、直接的な記述以外に、事実の選択や描写方法に間接的に含まれることも多い。自分の先入観を発見し、多方面からの見方をすることが重要である。書くことに本当の技量を持っている人は、想像力と洞察力を持ち、同一の事物を多方面から見ることができる。

4.文脈

言葉の意味は、辞書では決まらず、文章の言語的文脈と、社会活動の物理的社会的文脈で決まる。辞書の記述は、頭の中で想起する『内在的意味=内包』である。しかし実際は、その記号が指し示す『外在的意味』がある。『外在的意味』の議論は地に足がつき、一致を得ることが出来やすい。言葉は「一語・一義」ではない、意味は文脈で常に移り変わる。

5.社会的結びつきの言語

言語の最初は感情の表出であり、情報の伝達はホンの一部である。また、自分の声を楽しむ、音声のための音声の効果もある。単なる同意も儀式としては重要である。教育のある人間にはかえって、前記号的意味を考えないが、実際には言語の色々な効果を考えないといけない。

6.言葉の二重の仕事

言語には、『情報を送る』と『人を感化する』の、二つの仕事がある。従って、人の頭の中で生じる『内包』には、『情報的内包』と、その言葉の引き起こす個人的感情の雰囲気を示す、『感化的内包』がある。

宗教・政治などに見られる、ある種の言葉には、断定がはめこんであり、情報的内包と感化的内包を同時に引き起こす。日常生活の言語では、感化的内包の識別能力が必要である。

7.社会的調整の言語

言葉は指令的用法があり、これで未来を調整できる。指令的言語は感化的な内包を持ち、情緒的な訴求を行う。指令的言語には政治家の公約ような約束を含む。社会は、相互同意の広大な網で成立している。従って、『右側通行』のような共通的な、指令発言に関して、皆は暗黙に同意し、お互いの行動の型を背負っている。祈りや宣誓など、集団的是認を伴う指令もある。

8.感化的コミュニケーションの言語

われわれは、言語の感化的作用による共感を、締め出すことは出来ないので、会話から感情を締め出すことは出来ない。従って、リズム・直接的話しかけによる言語的催眠術や、その他の感化的要素を、われわれは使用している。

また、隠喩と直喩、直喩も、感化的意味を持つ。隠喩のもっとも成功した場合は隠喩を感じさせないレベルである。さらに、古典などを使う引喩もある。一方、事実を選ぶことで、感化性に大きく影響させ、読み手の断定に導く手法もある。

文学の働きは、個人の感じが重要であり、感化的要素が命である。このような文学では、読者に記号的経験を積ますことが出来る。文学や劇では、読み手に登場人物と想像的同一化を引き起こす。未成熟な人は、記号的な経験ですら、失敗を受け入れない。

9.芸術と緊張

発言には、緊張を緩和する効果がある。記号的戦術には、文学的逃避、緊張の緩和(復讐)などがある。また、詩は人々に心理的健康と平衡を与える。狂気と正気に種の差はなく、程度の問題である。美的評価の無秩序は緊張の材料であり、芸術に関して話しあって秩序を作ることで、緊張を緩和する。



第二部 言語と思考

10.われわれはどうやって知るか

ベッシ-と言う牝牛を見たとき、抽象のハシゴで考えている。

抽象のハシゴ

特に最下位の原始的過程のレベルは、常に変化しわれわれは知覚出来ないので、抽象化して扱っている。言語の役割を考える場合には、抽象の働きを考える必要がある。抽象化することで、一般的な議論を行うことが出来る。働きのようなものは、抽象的に記述しないと表現できない。定義は、言語についての叙述であり、できる限り抽象のハシゴを下るようにすべきである。

定義で、外在的に考えないと混乱が増す。定義の別な形は、測定できるものに変換する、操作的定義である。料理の本は、操作的定義を上手に書いている。高いレベルの抽象にとどまる場合は、コトバのグルグル廻りが生じる。一方、高いレベルの抽象化は、哲学&科学的洞察のために必要である。抽象を検定するには、必要に応じて、「低いレベルに適用できるか?」を問うのがよい。人は自分の抽象レベルのこだわる傾向がある。病的な人は、自分の抽象レベルから、動くことが出来ない。良い文学は、描写妥当性と一般的妥当性を持っている。

11.居なかった小人をさがす

広い意味では、われわれは常に、抽象のレベルを混同をしている。しかし科学的理解が進めば、われわれの神経系は、情報を落としてイルと言うことを、意識するようになる。しかし、言葉による条件反射なども存在する。
「犯罪人」ジョン・ドウという表現には、「常に罪を犯す」と言う断定を含んでいる。このような、『妄想の世界』からわれわれを解放するため、抽象を意識し、反応を延滞する。
先輩から学ぶのは、『一団の考えと信念、及びそれを保つための方法』である。これらは、抽象を意識すれば、不適切な時対応できる。地図は現地ではない。

12.分類

名づけの前に分類がある、分類はどの特徴に着目するかで決まり、絶対的な必然性はない。人はお往々にして、自分の分類に思い込みが入る。思いこみの対策として、例えば、「牝牛1は牝牛2ではない」のよう「見出し番号」を使う。科学は分類のもっとも一般的に有用な体系を採用し、当分の間「真理」と見なす。

13.二値的考え方

戦いの場では、敵味方を明確にするため、必然的に二値的考えとなる。しかし文化的な生活では、二値的な見方だけではいけない。政治における二値的考え方は、ヒトラーの発想のように、他の完全な否定となり、他の人間に対する人間の非人間性を示す。二値論理学は、数学などでは有効である。排中律を用いることで、背理法の証明が成立する。しかし、日常生活では、排中律は危険になる。

14.多値的考え方

ケンカや討論以外では、日常生活では、反対意見も認める、多値的考えになり、柔軟な修正を受け入れるようになる。論争で興奮した時や、感情の強い表現は、二値的になる。話し合いから利益を得るためには、断定を避け「反応する前に耳を傾ける」必要がある。ミルトン・ロキーチの研究「開かれた心と閉ざされた心」では、人の反応を以下のように分類している。
  1. 聞き手が、話し手とその内容をともに受け入れる場合
  2. 聞き手が、話し手とその内容をともに受け入れるない場合 
  3. 聞き手が、話し手を受け入れるが、その内容を受け入れるない場合
  4. 聞き手が、話し手を受け入れないが、その内容を受け入れる場合
開かれた心は、(1)~(4)全てができるが、閉ざされた心は、(1)、(2)の2つしかできない。ロキーチによると、人は以下の2つを行う。
  • 人は世界についてもっと多くのことを知ろうと思う
  • 人は世界から自分を守ろうとするー特に自分の「信念体系」に逆らうものを拒絶する
  • しかし、われわれは、自分の信念体系に逆らう情報にも、「心を開いて」おびえずに情報を入手しないといけない。 

15.詩と広告

詩と広告には、どちらも記号を使い人を動かすという、共通点がある。

16.頭の内だけで考える内在的考え方の危険性

内在的考え方の陥りやすい欠陥は、文脈無視、自動的反応、抽象レベルの混同、擬似性のみの注視、定義するだけでの満足などがある。例えば、「教会通いする人」は、「善きクリスチャン」を暗示している。そこで、ある「教会通いする人」が、妻に不誠実・他人の資金の保管は出来ない、卑しさが見つかったとする。この時、内在的考えで言語過剰な人は、以下の3方法で対応する人が多い。
  1. 彼は例外だ!     ・・・以下の多くの例外があったとしても、元の信念は変えない。
  2. 彼は実際は悪くない!・・・事実を否定する。
  3. 人はもう何も信じることは出来ない。私の生きている限り、決して教会通いする人は信じない。
  4. 広告も内在的考え方を促進する。
また、誤った教育も内在的考え方を大いに進める。語彙を知らない難しい言葉の、詰め込みによる自己満足がある。学ぶべき本が、難しい理由は2つある。一つは、扱われている観念が難しいからである。これは、土台になる知識を勉強しないといけない。一方、学問的語彙は、社会的機能をもち、使用者に威厳を与え、理解しない人に尊敬と恐れの念を引き起こす。このような社会的機能の重要度が、通達的機能を上回ると、コミュニケーションは困難になり、生かじりと隠語がはびこる。

17.ネズミと人間 

ネズミに、「解き難い」問題の神経挫折の実験を行うと、
  1. 一定の問題に対し特定の反応に固執する
  2. 状態が変化し、その答えが通用しないと衝撃をうける
  3. 衝撃と不安で挫折を重ねると、はじめの行動に固執する
  4. その後は、不機嫌で行動しなくなる
  5. 強制されると、失敗すると分かっても最初の行動を行い、最後には狂気になる
と、反応する。これは、人間でも同様な傾向がある。人間の場合は、集団的習慣の修正が難しい、制度的惰性が大きな原因である。このような状況には、個々の現実的な事項を確認する、外在的な対応がこれを救う。
科学のもっとも目覚しい特徴は、解きがたい問題の解決の継続である。解けるものを明確にするのが科学的態度であり、科学者はみずからの『地図』の限界を知り、必要に応じて修正する。

18.内の秩序と外の秩序 

内在的な考えによる困難を打破する、外在的考え方の諸ルールは、
  1. 地図はそれが代表する現地ではない。コトバは物ではない。
  2. コトバの意味はコトバの中にあるのではない。意味はわれわれの内にあり、文脈が意味を決定する。
  3. 「である」という語の正体を知れ。多くの場合、それは、評価錯誤を結晶させる。
  4. まだかけられていない橋を渡ろうとするな。指令的叙述と情報的叙述とを区別せよ。
  5. 「真」という語にある少なくとも四つの意義を見分けること。
  6. 実証されている報告、感じていること、指令的、数学の体系で真
  7. 「火に火を以て戦おう」としたくなった時は、消防手は常に水をもって戦うものだということを思い出せ。感情的にならない。
  8.  二値的考え方は、考えの始まりにはなるが操作の用具にはならない
  9. 定義について知れ。できるだけ実例で考えよ。
  10. 見出し番号と日付を使え。いかなる語も正確には二度と同じ意味を持たない。
  11. これを使わないと、突然の怒り、不安、傷つき安すぎ、話しすぎ、何でも口を出す、等の異常の徴候が出る。成熟した心は、あらゆる事に間にあう唯一の答えなどなく、言葉は全てでないと知っていて、柔軟さと不定への備えを持っている。
抽象を意識することのもう一つの領域は、「自分自身を知る」場合である。自己の変化に対応し、現実的な自己概念にする必要があり、特に断定を避け、客観的に報告する必要がある。自己概念の改善は、小さな部分から始めるのがよい。

われわれ自身の外在的知識を増やすもう一つの方法は、慣習的に達した態度を区別することである。慣習的態度には、高い抽象レベルの一般化が含まれることが多い。


思考と行動における言語(要点抜粋) 第二版 S.I.ハヤカワ 大久保忠利訳(岩波叢書)

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