スキップしてメイン コンテンツに移動

ケネディとマリリン ―マリリン・モンロー暗殺疑惑

16歳の頃、モデルとしてデビューしたマリリン・モンローは、少しずつ映画にも出演するようになり、20歳でハリウッドの映画会社と契約したのをきっかけに、本名のノーマ・ジーン・ベイカーから「マリリン・モンロー」へと名前を変える。

1951年の「イヴの総(すべ)て」に出演したのをきっかけに、後(のち)にアメリカ映画界を代表する大スターとなった。 たが1962年、36歳の若さにして自宅で不審な死を遂げた。睡眠薬の飲み過ぎによる自殺という結論となっているが、自殺にしては不審な点が多く、当初から他殺説が浮上しており、死の真相は依然はっきりしていない。

遺体発見

1962年8月、マリリンはロサンゼルスの住宅街に最近購入したばかりの豪邸で生活を送っていた。 8月5日、午前3時30分、家政婦がマリリンの部屋の灯りがまだついているのを見つけ、ドアをノックしてみた。しかし返事がない。

マリリンはこの当時、精神的に不安定になっており、狂言自殺を行っては、誰かに電話で助けを求めたこともある。精神科医に診察してもらっていたような時期だったので家政婦は心配になり、家の外に出てマリリンの部屋を覗いてみた。

するとマリリンが全裸でベッドの上に横たわっている。 嫌な予感がした家政婦は、すぐにマリリンのかかりつけの精神分析医であるグリーンソン医師を呼んだ。

10分後の3時40分、グリーンソン医師が到着して遺体を発見し、その後に同じくマリリンの主治医であるエンゲルバーグ医師が到着し、彼女の死亡を確認して警察に通報した。 

死の数時間前

遺体の発見は8月5日、午前3時30分。 前日の8月4日の夕方、マリリンの自宅には、友人である宣伝係のパトリシアが来ていた。また、ロバート・ケネディ司法長官(ケネディ大統領の弟)も訪ねてきていた。

そして更に、17時ごろ精神分析医であるグリーンソン医師もマリリンの自宅を訪れている。 その後ロバート・ケネディ司法長官が帰り、18時ごろパトリシアが帰り、グリーンソン医師も18時30分ごろ帰り、来客は全て帰った。 マリリンは20時ごろ寝室に入った。ここで一度電話をかけている。

マッサージを呼ぼうと、いつものマッサージ師のところへ電話したのだ。しかし不在だったらしく受けたのは留守番の者だった。「酔っぱらった感じの女性から電話がありました。」と留守番の人は後にこのマッサージ師に報告している。 この電話を最後に、午前3時30分までの約7時間でマリリンに何かが起こり、マリリンは遺体となって発見された。

不自然な自殺

死亡確認から5日後、検視結果が発表された。死因はバルビタール剤(睡眠薬の一種)の過剰摂取による急性中毒である。彼女の血液100グラムの中から4.5ミリグラム、肝臓から13ミリグラムのバルビタールが検出された。

「自殺の可能性が高い」とも発表され、この結論が現在でも公式な見解となっている。 バルビタール自体はエンゲルバーグ医師から処方されたもので、エンゲルバーグ医師はマリリンに50錠入りのビンを与えたという。だがマリリンの部屋にあったビンの中には3錠しか残っていなかった。 

ここまでの事実であれば、マリリンが自分の意思でバルビタールを大量に飲んだ自殺と考えられる。 しかし後の調査によれば、エンゲルバーグ医師が50錠を渡したというのは間違いで、薬局の記録によると、25錠となっていることが判明した。

また、ロス検視局では、死因はバルビタールとなっているが、その朝検視官が彼女の胃を調べたところ、バルビタール服用の際の屈折性結晶は検出されなかった。また、消化器官や腎臓にも薬を飲んだ痕跡が残っていなかった。 バルビタールを飲んで死に至るには少なくとも52錠、多ければ89錠が必要で、これだけの量を飲んで、胃や消化器官に何も残っていないということはあり得ないという。

それに、バルビタールの飲み過ぎ特有の症状である引きつけも起こしておらず、マリリンは身体をまっすぐにして横たわっていた。 つまりマリリンは、バルビタールを飲んだのではなく、別の手段で身体に入れたということになる。考えられるのが注射であるが、注射器などは部屋からは発見されていない。遺体にも注射の跡はなかった。 

また、この他にも自殺にしては不審な点が多くある。 遺書が見つからなかったこと、寝る前には必ずカーテンを閉めて寝る習慣があったのに、その日に限ってカーテンが開いていたこと、裸で寝ることなどなかったマリリンが裸で横たわっていたこと、彼女の電話の通信記録が失われていること、日記の代わりに使っていた赤い手帳がなくなっていたこと、などである。

また、動機に関しても不明で、確かにこの時期、わがまま放題で精神的に不安定だった彼女は撮影中の映画の役を降ろされていたものの、監督が替わってから再び50万ドルで再契約が成立しており、数週間後には撮影が再開されることになっていた。そのような時期に自殺に走るとは考えにくい。

ケネディとの出会い・深まる関係

マリリンが殺害される理由があったとすれば、それは仕事上のことではなく、私生活に原因があったとされる。その際に重要な要素となっているのは、ジョン・F・ケネディ大統領と、その弟ロバート・ケネディとの、2人との不倫関係が大きく関わってくる。

撮影の合間 いまだにファンの多いマリリン・モンロー マリリン・モンローは1950年代に「紳士は金髪がお好き」「億万長者と結婚する方法」などでトップスターとなった。マリリンの輝きが絶頂を迎えていたこの時期、マリリンは、後(のち)の大統領であるジョン・F・ケネディと知りあうこととなった。

紹介者はピーター・ローフォードで、彼はケネディの妹・パットの夫であり、また、俳優でもある。彼が、ロサンゼルス・サンタモニカ海岸のビーチハウスで、ケネディとマリリンを引き合わせたのだ。 初めて出会った時から2人は一気に仲を深め、マリリンはたちまちケネディに夢中になっていった。

ただ、ケネディの方には妻がいたので、こちらは不倫ということになる。もちろん、ケネディは、マリリンとの関係で刺激的な日々を送りながらも、妻と離婚までしてマリリンと結婚しようという気はなかった。 世間にバレないように、2人が合う場所としては、紹介者であるローフォードのビーチハウスを主に使った。ケネディが大統領に就任した後は、ニューヨークのカーライルホテル内にある大統領専用のペントハウスで会うようになった。 


このペントハウスは完全に外部の者をシャットアウト出来る理想的な場所であり、大統領の側近でさえ、ここに頻繁(ひんぱん)に出入りするのが誰なのか知らないような場所だった。

1960年の民主党大会の二日後、ケネディとマリリン、そしてローフォードは、レストランで食事をしていた。会話の最中、ケネディはテーブルの下でマリリンの身体を触りまくり、スカートの中に手を突っ込んだ時、彼女がパンティをはいていないことに気づいた。ローフォードは後でこういった話を聞かされて、ケネディとマリリンの関係がかなり進んでいることを知った。

また、2人で大統領専用機で旅行したこともあり、日が経つにつれ、マリリンはいつしか、ケネディと結婚したいと本気で思いつめるようになった。 頻繁に会っているにも関わらず、しばらくの間2人の関係がバレなかったのはマリリンの変装のおかげである。顔の半分くらいを隠すようなサングラスに地味な服、カツラなどで完全に別人となっており、周りの人も彼女のことをローフォードの秘書くらいにしか思っていなかった。 

破局

しかしだんだんとシークレットサービスやFBIに怪しまれ、間もなく2人の関係は突きとめられてしまう。両組織はマリリン本人の調査も進め、この頃マリリンが睡眠薬中毒とアルコール中毒で精神科の病院に入退院を繰り返していたことも調べ上げた。

マリリンはケネディに夢中になる一方であり、ホワイトハウスに電話をかけたり手紙を送ったり、果てはケネディ夫人にまで電話してケネディと離婚してと頼むほどだった。

そんなある日、FBIのフィーバー長官からケネディ大統領に対して警告が発せられた。「2人が会う時によく使っている、ローフォードのビーチハウスにマフィアが盗聴器をしかけ、2人のセックスを録音している」「マリリンとはもう会わない方がよい」、という情報だった。

マフィアたちがケネディ大統領の私生活や、マリリンとの不倫を調べていたのは、大統領を脅(おど)すネタを探していたためである。 ジョン・F・ケネディが大統領になり、そしてその弟のロバート・ケネディが司法長官という役職についてからは、彼らはマフィアの取り締まりをかなり強化した。

大統領の私生活での秘密を握り、これをネタに、取締りから逃(のが)れるような取引に持っていこうという意図があったらしい。 一方、ケネディの方は、マリリンに対する熱が冷(さ)めつつあった。マリリンが精神科の病院にお世話になっていることや妻に電話をかけたこと、そしてこの情報も大きな要素を占め、ケネディはマリリンと別れることを決めた。 

5月19日、ケネディはこれを最後と決めて、いつものカーライル・ホテルの部屋でマリリンと会った。この日は日中、ニューヨークのマジソン・スクエアガーデンで、民主党員1万5000人が集まり、ケネディの45歳の誕生日パーティが開かれた日でもあった。

マリリンもこのパーティに招かれており、パーティの後、これが最後となるとも知らずにマリリンはケネディとの約束の部屋に入っていき、いつもの甘い時を楽しんだ。 

ケネディの弟・ロバートとも不倫関係となる

あの夜を境として、ケネディはマリリンを避けるようになった。態度を豹変(ひょうへん)させ、急に冷たくなったケネディに対してマリリンは怒りが爆発した。 何度もホワイトハウスに電話をかけ、手紙も何通も出したが、ほとんど無視のような状態である。怒りが頂点に達したマリリンは、「これまでの2人の関係をマスコミにばらすわ!」と言い始めた。 脅しにかかったマリリンに対し、ケネディは弟のロバートをマリリンの元へ差し向けた。

もちろんマリリンの説得のためであるが、結果は説得とはまるで違う方向へと向いてしまった。 ロバートとマリリンはそれまでは挨拶をする程度の仲でしかなかったが、ロバートがマリリンの家を訪れた時、彼女は嘆(なげ)き悲しみ、その姿は本当にかわいそうで、ロバートは同情してしまい、翌日もマリリンと会い、その日の夕方にはすでにかなりの仲となり、そのまま夜を一緒に過ごして体の関係となってしまった。

ロバートとも関係を持ったマリリンは、今度はロバートのいる司法省に電話をかけるようになった。そして相手かまわず「ロバートは私と結婚の約束をした。」と口走るようになった。それは、元々の相手である大統領ジョン・F・ケネディと、その弟ロバート・ケネディとの区別さえつかなくなってしまったかのようだった。 行き過ぎの行動に、だんだんとロバートもマリリンを避けるようになっていった。 

ロバートにも敬遠され始めたマリリンは、再び不安定な精神状態となっていき、孤独感と悲しみ、寂しさの中で日々を過ごすようになった。 「ひどい人たち・・人を利用するだけ利用しておいて、後はゴミのように捨てるなんて・・。」そう言いながら絶望状態となったマリリンは更に睡眠薬に頼るようになってしまった。

失恋の悲しみと酒、睡眠薬が度を過ぎるほどになってしまい、仕事においてもこの時には自分の出演映画「女房は生きていた」の撮影は始まっていたのだが、自分の出番になってもセリフもろくに覚えておらず、しゃべってもろれつがまわらず何を言っているのか聞き取れないような状態となってしまった。 

心配したローフォードは「このままでは女優生命が終ってしまう。」と警告したのだが、マリリンの状態は変わらなかった。 そして間もなく決定的なことが起こった。あまりの彼女の態度に腹を立てた製作会社が彼女を役からはずし、この映画は撮影中止となったのだ。

ケネディ兄弟たちとの関係だけではなく、仕事までも失ってしまい、精神的にボロボロとなったマリリンは、家にこもって酒を浴びるように飲むようになり、ひたすら泣いて過ごす日々となった。 

死の直前の出来事

ローフォードはマリリンを何とか立ち直らせようと、自分たち夫婦と一緒に旅行に誘った。2回ほど行った旅行の最中でもマリリンは酒を大量に飲み、睡眠薬も多用した。マリリンの気晴らしに、と思って計画した旅行だったが、結局マリリンの身体のことを心配して旅行は途中で中止せざるを得なかった。

ローフォード夫妻との2回目の旅行が終わって数日後、マリリンが死亡する2日前のことであるが、マリリンは、ケネディの弟ロバート・ケネディがサンフランシスコの近くに来ていることを知った。

すぐにロバートに電話し、「今すぐ会いに来て!」と電話口で狂ったように叫んだ。だがロバートも予定は詰まっており、家族と来ているのにそのようなことが出来るはずがない。 相手にせずに断ったがマリリンは食い下がり、どうしても会いたいと言う。強引に口説き落とされて、ロバートは結局会いに行くことになった。 

ロサンゼルスまで飛び、そこからはヘリコプターで映画製作会社の広場まで飛び、ローフォードに迎えに来てもらって2人でマリリンの自宅を訪れた。2人が家に到着したのはマリリンが電話をかけた翌日・8月4日の14時ごろだった。家にはマリリンの他に、友人である宣伝係のパトリシアも来ていた。

2人で彼女の家に入ったが、ローフォードは気を使って一人だけすぐに外に出た。しかしローフォードが外で立って待っていると、中からケンカをする声が聞こえてきた。ローフォードはすぐにまた家の中へと入ってみた。 ロバート・ケネデイが「すぐに帰らないといけない。」と言ったことから「午後いっぱい私といると約束したくせに!」とマリリンが逆上している。 ヒステリーはどんどんひどくなり、 「明日の朝一番に記者会見を開いて、ケネディ兄弟にもてあそばれて紙クズみたいに捨てられたことを世間にバラしてやる!」 と叫んだ。

ロバートもこれには頭にきて 「俺たち兄弟に指一本でも触れてみろ!タダじゃおかない!」と言い返した。 マリリンは叫びながらロバートに殴りかかり、近くにあったナイフを持ってロバートに切りつけようとした。 ロバートはローフォードと一緒にマリリンに組み付き、床に押しつけてナイフを奪った。

その後ロバートは、電話でマリリンのかかりつけの精神科医であるグリーンソン医師を呼んだ。グリーンソンはすぐに駆けつけ、マリリンに鎮静剤を注射した。時間は17時ごろになっていた。 それからロバートとローフォードは帰り、グリーンソン医師も18時30ごろ帰っていった。

この時点で友人のパトリシアも帰っており、マリリンの家には来客は誰もいなくなった。 そしてここからが謎に包まれた時間帯であり、そのまま夜がふけ、午前3時30分、マリリンは全裸で遺体となって発見された。 

真相を語る本

1991年、マリリンの死から30年近くが経って、この事件の真相として、一冊の本が発行された。「ダブル・クロス」というタイトルのこの本は、アメリカマフィアのボスであるサム・ジアンカーナ(故人)の弟・チャックと、その息子サム(故人と同じ名)が書いたものである。 この本によれば、マリリンは自殺ではなく、CIAの依頼によってマフィアに殺されたというのが真相となっている。 

※CIA:アメリカ中央情報局(Central Intelligence Agency)。アメリカの情報機関であり、裏の仕事を手がけることから「もう一つのアメリカ政府」との呼び名もある。 警察や軍隊とは全く異なる組織で、国民に知られてまずいような情報の隠滅や証拠物件の抹消、敵国の要人の暗殺、スパイ行為、脅迫、戦時中の捕虜の拷問、情報操作など、闇の活動が多い。

政府からは莫大(ばくだい)な予算と権限を与えられている。存在目的はアメリカの外交や国防のためであるが、秘密の部分が多く、詳細は明らかにされていない。アメリカの裏の部分担当とも言える組織。 

2人の政界の大物の愛人となったマリリンは、外部に漏れてはまずいような政界内部のトップシークレットまでも色々と知ることとなり、危険な女となっていた。 例えばマリリンが死ぬ1ヶ月くらい前に、スラッツァーという男がマリリンから以下のような話を聞いている。

「CIAが、キューバの独裁者・カストロを暗殺しようと計画を立てているらしいわ。マフィアの力を借りるみたい。」 現在でこそ、CIAがマフィアにカストロの暗殺を15万ドルで依頼したことが2007年の文書公開で分かっているが、この当時ではトップシークレットだった。 

これは一例として、こういった情報を色々と知ってしまったマリリンは、CIAや政界の者にとっては非常に脅威を感じる女となっていた。 その上で、7月ごろ(死の1ヶ月くらい前)からケネディ兄弟と不仲になり、「何もかもバラす」と脅しをかけ始めた。 この「何もかも」に、政界の情報も含まれていたとすれば、それはCIAにとってもケネディにとっても非常にまずいことになる。CIAは、彼女を始末することに決めた。 そしてそれをマフィアのボスであるサム・ジアンカーナに依頼した。

ジアンカーナは、マリリンとケネディ兄弟との関係も知っていた。 元々ケネディ兄弟の父親は、このジアンカーナと親密な関係にあり、自分の息子であるジョン(後のケネディ大統領)が大統領に立候補した時も、ジアンカーナから50万ドルの援助金を受け取っている。 また、この父親が何物かに命を狙われた時に助けたのもジアンカーナである。

ケネディの父親は、ジアンカーナに対して、「いずれジョンの側近として、ジアンカーナの子供も政界に入れてやる」という約束をしていた。しかしこの約束は実行されることはなかった。 

その上、ケネディ大統領の弟であるロバートは司法長官になると、ジアンカーナを犯罪者リストのトップに上げ、厳しいマフィア弾圧を行った。ケネディ家とジアンカーナの親密だった関係は崩れ、ジアンカーナは、ケネディ家に対して激しい憎しみを持つようになっていった。 その上でこの依頼だったので、ジアンカーナはこれを機会にマリリンとケネディ兄弟の関係を世間に暴露(ばくろ)し、あわよくばロバート・ケネディ司法長官をマリリン殺害の犯人に仕立てあげようと画策した。

ジアンカーナはマリリン暗殺をOKした。 手下に命じ、マリリンの自宅に盗聴器を仕掛けて機会をうかがった。理想的な日はロバートがマリリンと会うか、家に来た日である。 「ロバートがマリリンの家に8月4日に行くことになった」という情報がCIAからジアンカーナへもたらされた。これを受けてジアンカーナの組織の殺し屋であるニードルズ・ジアノーラとマグシー・トルトレーラ、それに他2名を加えた、4名の殺し屋チームも現地に到着した。

そして8月4日、殺し屋たちが盗聴器を通じてマリリンの家の様子を探っていると、ロバート・ケネディが到着したようだった。 激しい口論をしており、間もなく精神科医が来て、ロバート・ケネディが 「注射を打って彼女を落ち着かせてくれ。」 と頼んだ。注射をしてしばらくしてマリリンのヒステリーがおさまったのか、ロバートも医者も帰って行った。 

そしてマリリンが寝付いたであろう午前0時ごろ、殺し屋たちはマリリンの部屋に侵入した。マリリンは最初こそ少し抵抗したものの、医者が打った鎮静剤が効いており、思い通りにするのは簡単だった。

手際よく口をテープでふさぎ、裸にしてベッドに横たえ、バルビタール剤と包水クロラールを調合した強力な座薬を肛門に突っ込んだ。口から無理矢理飲ませるのは、顔や身体に揉みあった証拠を残す恐れがある上に吐く可能性があるため、肛門から入れたのだ。 ほどなくして入れられた座薬は血管から体内に入っていき、マリリンは意識を失った。


殺し屋たちはマリリンの口のテープをはがし、身体を拭き、室内の侵入の痕跡を消し去った後、静かに立ち去った。 マリリンの殺害自体は成功したものの、ロバート・ケネディを犯人に仕立て上げるという計画までは実行出来なかった。

ロバートが、警察が来る前にマリリンの死を知ってしまい、すぐにローフォードと探偵オタッシュに指示して、マリリンの部屋から電話番号簿や日記など、自分との関係を示すようなものを総て奪い去ってしまったからだ。 もちろんこの時点ではロバートは、マリリンの部屋に殺し屋たちが来たなどとは知らず、自殺か医者の過剰投与による死亡だと思っていた。

この「ダブル・クロス」に書かれた内容は、事実として公式に認められたものではない。マリリンの死は自殺というのが公式見解となっている。 

しかし不自然な点の多い自殺説よりも、この他殺説の方が説得力を持っているのは確かである。真相は依然闇の中であり、今後もおそらくはっきりと判明することはない。

マリリン・モンロー暗殺疑惑より

コメント

このブログの人気の投稿

高校生に読んでもらいたい日本国憲法訂正のご提案 ―間違いは訂正しよう!

日本国憲法はいろいろな瑕疵があります。その中でも致命的な瑕疵は文法の間違いと文言の不統一です。そのため条文の解釈に憲法学者間で争いがあります。ですから、私は争いが起こらないように正しく訂正したほうがいいと考えています。憲法を改正する議論の前に、それらをまず訂正してある程度完全なものに近づけてから、改正するや、破棄するなどを議論したいのものです。これはそんな提案です。ではいくつか検討しましょう。



文法の誤り まずは文法の間違いと思われる箇所からです。前文の、 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」 格調高い文章のようですが、小学生の試験でもバツになるような間違いがあります。無理をすればそれでも意味は通じるでしょうが、やはり正しく訂正すべきでしょう。

それは、「公正と信義に信頼して」は、「公正と信義を信頼して(下線部分)」、とした方が日本語として正しくはないでしょうか。念のため原文を確認しましょう。

we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith of the peace-loving peoples of the world.

直訳で、「人々の正義と善意に基づいて」ですが、Andをなぜ「に」と翻訳したのかは謎です。やはり「と」にした方が日本語としてしっくりきませんか?いかがでしょう。

次に第3章 国民の権利及び義務からです。この章は疑義だらけなので、どこから説明が必要かわからないくらいです。まずは、憲法の文言がそのほかすべての法律文の例外になっている条文から検討しましょう。

第21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」 ですが、どこが法律文の例外になっているかわかるでしょうか。これは小学生にはちょっと無理です。大学生でも法律を学んでない学生は分からないでしょう。

答えは「その他」です。では参考書で解説します。 法律文では「その他の」と「その他」を意識して使い分けています。「その他の」とした場合は、後ろに続く語句が前におかれている語句を含む、よ…

高校生に読んでもらいたい日本国憲法改正のご提案 ―その3

その2まで如何でしたでしょうか?私がこの論考をなぜ高校生の皆さんに読んでもらいたいかと申し上げますと、私は大学行っていないので、これまで査読を受けるような、学術的な論文を書いたことがありません。 ですから、私の学力は皆さんとそう変わりないと思います。もしかすると卒業して35年、老化も進み、物忘れも激しく基礎的な学力は皆さんよりだいぶ劣るかもしれません。ですから、書いている内容は皆さんも理解できると思うからです。



さて本稿は第2章 戦争の放棄の検討です。

私にとって、憲法改正の優先順位第1は第1章、第2は緊急事態条項の創設ですから、現行で第2章は問題がなければそのままでも構いません。

これは最後に述べますが、現行でも十分、戦力の保有、個別的自衛権行使はもちろん、集団的自衛権行使も可能です。 ですが、平和安全法制の議論の時、自衛隊違憲まで言及する憲法学者や議員がおられましたので、自衛隊の位置づけと名称は論争のないようにしたいと思います。

第2章 戦争の放棄 は以下のように改正したいと思います。

第2章 自衛権
第9条 日本国民は、国民の安全、国土の維持、国の独立を守るため国軍を保持する。

2 ただし、国際紛争を解決する手段として、武力による威嚇又は武力の行使を、永久にこれを放棄する。

その1でマッカーサー3原則をすでに提示していますので、これがⅡを強く意識した条文であることはおわかりでしょう。このような平和条項は、他国にもあります。

例えば大韓民国憲法に、

第5条 大韓民国は国際平和の維持に努力し、侵略戦争を否認する。

という条文があります。ドイツ基本法にも、

第26条 [侵略戦争の準備の禁止] (1) 諸国民の平和的共存を阻害するおそれがあり、かつこのような意図でなされた行為、とくに侵略戦争の遂行を準備する行為は、違憲である。これらの行為は処罰される。

と似たような条文があります。

しかし日本国憲法草案を作ったGHQの祖国、合衆国憲法には、そのようなそもそも平和条項のような条文はありません。

余談ですが、ドイツ基本法やフランス共和国憲法には国旗や国歌に対する記述がありますが、日本国憲法にはありません。

通常憲法条文には擁護すべき人権や組織、その権限と行使の限界などが書かれています。戦争の放棄などという具体的な要求みたいなことは書かれていませ…

立法府の議員が法令違反では国民は法令を守らない ―自民党小野田議員、民進党蓮舫代表は議員辞職すべき

昨日BBCで、こんな記事を目にした。
豪上院議員が辞職表明、二重国籍判明で 先週末から二人目

高校生に読んでもらいたい日本国憲法改正のご提案 ―その2

前稿では前文について検討致しました。本稿は第1章 天皇です。その前に憲法の改正について少しだけ確認したいと思います。 憲法の制定や改正には制憲権、憲法を制定する権力が必要で、それは、国民主権では国民であり、国民意思です。ですから立法権や、行政権、司法権といった憲法上の権力には憲法をつくる権力もかえる権力もない、という考え方です。


日本国憲法では、

第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。

この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

条文は、国会に改正の権限を付与しています。国民投票という手続きは制憲権への承認行為といえます。このような憲法典に制度化された憲法の改正権を「制度化された改正権」―芦部憲法、といいます。

このように国民主権では制定も改正も国民意思が重要です。それをふまえて再度、前文を読むと主語の「日本国民は」は一人称なのか三人称なのか、あいまいでわかりません。

めらめらと燃え上がる強い意思で「民主政府樹立のため、憲法を制定するぞオオオォォォ-」と宣言するのであれば、「我々は」もしくは「我々日本国民は」としたいところです。

さて本論です。第1章は天皇です。マッカーサー3原則では、Ⅰで天皇は元首となっていました。ところが日本国憲法ではそのような記述はありません。

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

影響を受けたといわれている憲法草案要綱では、

一、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス
一、天皇ハ国政ヲ親ラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス
一、天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル
一、天皇ノ即位ハ議会ノ承認ヲ経ルモノトス
一、摂政ヲ置クハ議会ノ議決ニヨル

大日本国憲法は、

第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

天皇の地位は神勅に基づく不変の地位から、国民の総意に基づく可変的な地位へ変わりました。―芦部憲法、

私はここで天皇の地位は不変でなえればならない、ということを提案したいのです。提案というよりは不変でなければならないことを証明したい、という気持ちなのです。

例えば、天皇地位が不変なのは、「…

高校生に読んでもらいたい日本国憲法改正のご提案 ―その1

前稿では、改正ではなく訂正の提案を皆様に致しました。さていよいよ、改正についての検討をしようと思います。改正には様々な意見があります。私がこれから申し上げるものその意見のうちの一つです。もしかすると皆様のご意見とは違う意見を申し上げるかもしれません。しかしそれも意見の一つとして読んで頂きたいと思います。




前文 提案はそれぞれの章にあります。優先順位をつけられないので、前文からはじめたいと思います。前稿でも前文について2か所指摘を致しました。

一つは公正と信義に信頼してと、この憲法を確定する。という2か所です。文章の読みづらさもありますが、それはとりあえず脇に置きます。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

前文については様々な批判意見があります。それら、すべてを検討していては膨大な字数になりますので、まず前文への私なり…