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マリリン・モンロー暗殺疑惑

16歳の頃、モデルとしてデビューしたマリリン・モンローは、少しずつ映画にも出演するようになり、20歳でハリウッドの映画会社と契約したのをきっかけに、本名のノーマ・ジーン・ベイカーから「マリリン・モンロー」へと名前を変える。1951年の「イヴの総(すべ)て」に出演したのをきっかけに、後(のち)にアメリカ映画界を代表する大スターとなった。 たが1962年、36歳の若さにして自宅で不審な死を遂げた。睡眠薬の飲み過ぎによる自殺という結論となっているが、自殺にしては不審な点が多く、当初から他殺説が浮上しており、死の真相は依然はっきりしていない。

遺体発見

1962年8月、マリリンはロサンゼルスの住宅街に最近購入したばかりの豪邸で生活を送っていた。 8月5日、午前3時30分、家政婦がマリリンの部屋の灯りがまだついているのを見つけ、ドアをノックしてみた。しかし返事がない。

マリリンはこの当時、精神的に不安定になっており、狂言自殺を行っては、誰かに電話で助けを求めたこともある。精神科医に診察してもらっていたような時期だったので家政婦は心配になり、家の外に出てマリリンの部屋を覗いてみた。

するとマリリンが全裸でベッドの上に横たわっている。 嫌な予感がした家政婦は、すぐにマリリンのかかりつけの精神分析医であるグリーンソン医師を呼んだ。

10分後の3時40分、グリーンソン医師が到着して遺体を発見し、その後に同じくマリリンの主治医であるエンゲルバーグ医師が到着し、彼女の死亡を確認して警察に通報した。 

死の数時間前

遺体の発見は8月5日、午前3時30分。 前日の8月4日の夕方、マリリンの自宅には、友人である宣伝係のパトリシアが来ていた。また、ロバート・ケネディ司法長官(ケネディ大統領の弟)も訪ねてきていた。

そして更に、17時ごろ精神分析医であるグリーンソン医師もマリリンの自宅を訪れている。 その後ロバート・ケネディ司法長官が帰り、18時ごろパトリシアが帰り、グリーンソン医師も18時30分ごろ帰り、来客は全て帰った。 マリリンは20時ごろ寝室に入った。ここで一度電話をかけている。

マッサージを呼ぼうと、いつものマッサージ師のところへ電話したのだ。しかし不在だったらしく受けたのは留守番の者だった。「酔っぱらった感じの女性から電話がありました。」と留守番の人は後にこのマッサージ師に報告している。 この電話を最後に、午前3時30分までの約7時間でマリリンに何かが起こり、マリリンは遺体となって発見された。

不自然な自殺

死亡確認から5日後、検視結果が発表された。死因はバルビタール剤(睡眠薬の一種)の過剰摂取による急性中毒である。彼女の血液100グラムの中から4.5ミリグラム、肝臓から13ミリグラムのバルビタールが検出された。

「自殺の可能性が高い」とも発表され、この結論が現在でも公式な見解となっている。 バルビタール自体はエンゲルバーグ医師から処方されたもので、エンゲルバーグ医師はマリリンに50錠入りのビンを与えたという。だがマリリンの部屋にあったビンの中には3錠しか残っていなかった。 

ここまでの事実であれば、マリリンが自分の意思でバルビタールを大量に飲んだ自殺と考えられる。 しかし後の調査によれば、エンゲルバーグ医師が50錠を渡したというのは間違いで、薬局の記録によると、25錠となっていることが判明した。

また、ロス検視局では、死因はバルビタールとなっているが、その朝検視官が彼女の胃を調べたところ、バルビタール服用の際の屈折性結晶は検出されなかった。また、消化器官や腎臓にも薬を飲んだ痕跡が残っていなかった。 バルビタールを飲んで死に至るには少なくとも52錠、多ければ89錠が必要で、これだけの量を飲んで、胃や消化器官に何も残っていないということはあり得ないという。

それに、バルビタールの飲み過ぎ特有の症状である引きつけも起こしておらず、マリリンは身体をまっすぐにして横たわっていた。 つまりマリリンは、バルビタールを飲んだのではなく、別の手段で身体に入れたということになる。考えられるのが注射であるが、注射器などは部屋からは発見されていない。遺体にも注射の跡はなかった。 

また、この他にも自殺にしては不審な点が多くある。 遺書が見つからなかったこと、寝る前には必ずカーテンを閉めて寝る習慣があったのに、その日に限ってカーテンが開いていたこと、裸で寝ることなどなかったマリリンが裸で横たわっていたこと、彼女の電話の通信記録が失われていること、日記の代わりに使っていた赤い手帳がなくなっていたこと、などである。

また、動機に関しても不明で、確かにこの時期、わがまま放題で精神的に不安定だった彼女は撮影中の映画の役を降ろされていたものの、監督が替わってから再び50万ドルで再契約が成立しており、数週間後には撮影が再開されることになっていた。そのような時期に自殺に走るとは考えにくい。

ケネディとの出会い・深まる関係

マリリンが殺害される理由があったとすれば、それは仕事上のことではなく、私生活に原因があったとされる。その際に重要な要素となっているのは、ジョン・F・ケネディ大統領と、その弟ロバート・ケネディとの、2人との不倫関係が大きく関わってくる。

撮影の合間 いまだにファンの多いマリリン・モンロー マリリン・モンローは1950年代に「紳士は金髪がお好き」「億万長者と結婚する方法」などでトップスターとなった。マリリンの輝きが絶頂を迎えていたこの時期、マリリンは、後(のち)の大統領であるジョン・F・ケネディと知りあうこととなった。

紹介者はピーター・ローフォードで、彼はケネディの妹・パットの夫であり、また、俳優でもある。彼が、ロサンゼルス・サンタモニカ海岸のビーチハウスで、ケネディとマリリンを引き合わせたのだ。 初めて出会った時から2人は一気に仲を深め、マリリンはたちまちケネディに夢中になっていった。

ただ、ケネディの方には妻がいたので、こちらは不倫ということになる。もちろん、ケネディは、マリリンとの関係で刺激的な日々を送りながらも、妻と離婚までしてマリリンと結婚しようという気はなかった。 世間にバレないように、2人が合う場所としては、紹介者であるローフォードのビーチハウスを主に使った。ケネディが大統領に就任した後は、ニューヨークのカーライルホテル内にある大統領専用のペントハウスで会うようになった。 


このペントハウスは完全に外部の者をシャットアウト出来る理想的な場所であり、大統領の側近でさえ、ここに頻繁(ひんぱん)に出入りするのが誰なのか知らないような場所だった。

1960年の民主党大会の二日後、ケネディとマリリン、そしてローフォードは、レストランで食事をしていた。会話の最中、ケネディはテーブルの下でマリリンの身体を触りまくり、スカートの中に手を突っ込んだ時、彼女がパンティをはいていないことに気づいた。ローフォードは後でこういった話を聞かされて、ケネディとマリリンの関係がかなり進んでいることを知った。

また、2人で大統領専用機で旅行したこともあり、日が経つにつれ、マリリンはいつしか、ケネディと結婚したいと本気で思いつめるようになった。 頻繁に会っているにも関わらず、しばらくの間2人の関係がバレなかったのはマリリンの変装のおかげである。顔の半分くらいを隠すようなサングラスに地味な服、カツラなどで完全に別人となっており、周りの人も彼女のことをローフォードの秘書くらいにしか思っていなかった。 

破局

しかしだんだんとシークレットサービスやFBIに怪しまれ、間もなく2人の関係は突きとめられてしまう。両組織はマリリン本人の調査も進め、この頃マリリンが睡眠薬中毒とアルコール中毒で精神科の病院に入退院を繰り返していたことも調べ上げた。

マリリンはケネディに夢中になる一方であり、ホワイトハウスに電話をかけたり手紙を送ったり、果てはケネディ夫人にまで電話してケネディと離婚してと頼むほどだった。

そんなある日、FBIのフィーバー長官からケネディ大統領に対して警告が発せられた。「2人が会う時によく使っている、ローフォードのビーチハウスにマフィアが盗聴器をしかけ、2人のセックスを録音している」「マリリンとはもう会わない方がよい」、という情報だった。

マフィアたちがケネディ大統領の私生活や、マリリンとの不倫を調べていたのは、大統領を脅(おど)すネタを探していたためである。 ジョン・F・ケネディが大統領になり、そしてその弟のロバート・ケネディが司法長官という役職についてからは、彼らはマフィアの取り締まりをかなり強化した。

大統領の私生活での秘密を握り、これをネタに、取締りから逃(のが)れるような取引に持っていこうという意図があったらしい。 一方、ケネディの方は、マリリンに対する熱が冷(さ)めつつあった。マリリンが精神科の病院にお世話になっていることや妻に電話をかけたこと、そしてこの情報も大きな要素を占め、ケネディはマリリンと別れることを決めた。 

5月19日、ケネディはこれを最後と決めて、いつものカーライル・ホテルの部屋でマリリンと会った。この日は日中、ニューヨークのマジソン・スクエアガーデンで、民主党員1万5000人が集まり、ケネディの45歳の誕生日パーティが開かれた日でもあった。

マリリンもこのパーティに招かれており、パーティの後、これが最後となるとも知らずにマリリンはケネディとの約束の部屋に入っていき、いつもの甘い時を楽しんだ。 

ケネディの弟・ロバートとも不倫関係となる

あの夜を境として、ケネディはマリリンを避けるようになった。態度を豹変(ひょうへん)させ、急に冷たくなったケネディに対してマリリンは怒りが爆発した。 何度もホワイトハウスに電話をかけ、手紙も何通も出したが、ほとんど無視のような状態である。怒りが頂点に達したマリリンは、「これまでの2人の関係をマスコミにばらすわ!」と言い始めた。 脅しにかかったマリリンに対し、ケネディは弟のロバートをマリリンの元へ差し向けた。

もちろんマリリンの説得のためであるが、結果は説得とはまるで違う方向へと向いてしまった。 ロバートとマリリンはそれまでは挨拶をする程度の仲でしかなかったが、ロバートがマリリンの家を訪れた時、彼女は嘆(なげ)き悲しみ、その姿は本当にかわいそうで、ロバートは同情してしまい、翌日もマリリンと会い、その日の夕方にはすでにかなりの仲となり、そのまま夜を一緒に過ごして体の関係となってしまった。

ロバートとも関係を持ったマリリンは、今度はロバートのいる司法省に電話をかけるようになった。そして相手かまわず「ロバートは私と結婚の約束をした。」と口走るようになった。それは、元々の相手である大統領ジョン・F・ケネディと、その弟ロバート・ケネディとの区別さえつかなくなってしまったかのようだった。 行き過ぎの行動に、だんだんとロバートもマリリンを避けるようになっていった。 

ロバートにも敬遠され始めたマリリンは、再び不安定な精神状態となっていき、孤独感と悲しみ、寂しさの中で日々を過ごすようになった。 「ひどい人たち・・人を利用するだけ利用しておいて、後はゴミのように捨てるなんて・・。」そう言いながら絶望状態となったマリリンは更に睡眠薬に頼るようになってしまった。

失恋の悲しみと酒、睡眠薬が度を過ぎるほどになってしまい、仕事においてもこの時には自分の出演映画「女房は生きていた」の撮影は始まっていたのだが、自分の出番になってもセリフもろくに覚えておらず、しゃべってもろれつがまわらず何を言っているのか聞き取れないような状態となってしまった。 

心配したローフォードは「このままでは女優生命が終ってしまう。」と警告したのだが、マリリンの状態は変わらなかった。 そして間もなく決定的なことが起こった。あまりの彼女の態度に腹を立てた製作会社が彼女を役からはずし、この映画は撮影中止となったのだ。

ケネディ兄弟たちとの関係だけではなく、仕事までも失ってしまい、精神的にボロボロとなったマリリンは、家にこもって酒を浴びるように飲むようになり、ひたすら泣いて過ごす日々となった。 

死の直前の出来事

ローフォードはマリリンを何とか立ち直らせようと、自分たち夫婦と一緒に旅行に誘った。2回ほど行った旅行の最中でもマリリンは酒を大量に飲み、睡眠薬も多用した。マリリンの気晴らしに、と思って計画した旅行だったが、結局マリリンの身体のことを心配して旅行は途中で中止せざるを得なかった。

ローフォード夫妻との2回目の旅行が終わって数日後、マリリンが死亡する2日前のことであるが、マリリンは、ケネディの弟ロバート・ケネディがサンフランシスコの近くに来ていることを知った。

すぐにロバートに電話し、「今すぐ会いに来て!」と電話口で狂ったように叫んだ。だがロバートも予定は詰まっており、家族と来ているのにそのようなことが出来るはずがない。 相手にせずに断ったがマリリンは食い下がり、どうしても会いたいと言う。強引に口説き落とされて、ロバートは結局会いに行くことになった。 

ロサンゼルスまで飛び、そこからはヘリコプターで映画製作会社の広場まで飛び、ローフォードに迎えに来てもらって2人でマリリンの自宅を訪れた。2人が家に到着したのはマリリンが電話をかけた翌日・8月4日の14時ごろだった。家にはマリリンの他に、友人である宣伝係のパトリシアも来ていた。

2人で彼女の家に入ったが、ローフォードは気を使って一人だけすぐに外に出た。しかしローフォードが外で立って待っていると、中からケンカをする声が聞こえてきた。ローフォードはすぐにまた家の中へと入ってみた。 ロバート・ケネデイが「すぐに帰らないといけない。」と言ったことから「午後いっぱい私といると約束したくせに!」とマリリンが逆上している。 ヒステリーはどんどんひどくなり、 「明日の朝一番に記者会見を開いて、ケネディ兄弟にもてあそばれて紙クズみたいに捨てられたことを世間にバラしてやる!」 と叫んだ。

ロバートもこれには頭にきて 「俺たち兄弟に指一本でも触れてみろ!タダじゃおかない!」と言い返した。 マリリンは叫びながらロバートに殴りかかり、近くにあったナイフを持ってロバートに切りつけようとした。 ロバートはローフォードと一緒にマリリンに組み付き、床に押しつけてナイフを奪った。

その後ロバートは、電話でマリリンのかかりつけの精神科医であるグリーンソン医師を呼んだ。グリーンソンはすぐに駆けつけ、マリリンに鎮静剤を注射した。時間は17時ごろになっていた。 それからロバートとローフォードは帰り、グリーンソン医師も18時30ごろ帰っていった。

この時点で友人のパトリシアも帰っており、マリリンの家には来客は誰もいなくなった。 そしてここからが謎に包まれた時間帯であり、そのまま夜がふけ、午前3時30分、マリリンは全裸で遺体となって発見された。 

真相を語る本

1991年、マリリンの死から30年近くが経って、この事件の真相として、一冊の本が発行された。「ダブル・クロス」というタイトルのこの本は、アメリカマフィアのボスであるサム・ジアンカーナ(故人)の弟・チャックと、その息子サム(故人と同じ名)が書いたものである。 この本によれば、マリリンは自殺ではなく、CIAの依頼によってマフィアに殺されたというのが真相となっている。 

※CIA:アメリカ中央情報局(Central Intelligence Agency)。アメリカの情報機関であり、裏の仕事を手がけることから「もう一つのアメリカ政府」との呼び名もある。 警察や軍隊とは全く異なる組織で、国民に知られてまずいような情報の隠滅や証拠物件の抹消、敵国の要人の暗殺、スパイ行為、脅迫、戦時中の捕虜の拷問、情報操作など、闇の活動が多い。

政府からは莫大(ばくだい)な予算と権限を与えられている。存在目的はアメリカの外交や国防のためであるが、秘密の部分が多く、詳細は明らかにされていない。アメリカの裏の部分担当とも言える組織。 

2人の政界の大物の愛人となったマリリンは、外部に漏れてはまずいような政界内部のトップシークレットまでも色々と知ることとなり、危険な女となっていた。 例えばマリリンが死ぬ1ヶ月くらい前に、スラッツァーという男がマリリンから以下のような話を聞いている。

「CIAが、キューバの独裁者・カストロを暗殺しようと計画を立てているらしいわ。マフィアの力を借りるみたい。」 現在でこそ、CIAがマフィアにカストロの暗殺を15万ドルで依頼したことが2007年の文書公開で分かっているが、この当時ではトップシークレットだった。 

これは一例として、こういった情報を色々と知ってしまったマリリンは、CIAや政界の者にとっては非常に脅威を感じる女となっていた。 その上で、7月ごろ(死の1ヶ月くらい前)からケネディ兄弟と不仲になり、「何もかもバラす」と脅しをかけ始めた。 この「何もかも」に、政界の情報も含まれていたとすれば、それはCIAにとってもケネディにとっても非常にまずいことになる。CIAは、彼女を始末することに決めた。 そしてそれをマフィアのボスであるサム・ジアンカーナに依頼した。

ジアンカーナは、マリリンとケネディ兄弟との関係も知っていた。 元々ケネディ兄弟の父親は、このジアンカーナと親密な関係にあり、自分の息子であるジョン(後のケネディ大統領)が大統領に立候補した時も、ジアンカーナから50万ドルの援助金を受け取っている。 また、この父親が何物かに命を狙われた時に助けたのもジアンカーナである。

ケネディの父親は、ジアンカーナに対して、「いずれジョンの側近として、ジアンカーナの子供も政界に入れてやる」という約束をしていた。しかしこの約束は実行されることはなかった。 

その上、ケネディ大統領の弟であるロバートは司法長官になると、ジアンカーナを犯罪者リストのトップに上げ、厳しいマフィア弾圧を行った。ケネディ家とジアンカーナの親密だった関係は崩れ、ジアンカーナは、ケネディ家に対して激しい憎しみを持つようになっていった。 その上でこの依頼だったので、ジアンカーナはこれを機会にマリリンとケネディ兄弟の関係を世間に暴露(ばくろ)し、あわよくばロバート・ケネディ司法長官をマリリン殺害の犯人に仕立てあげようと画策した。

ジアンカーナはマリリン暗殺をOKした。 手下に命じ、マリリンの自宅に盗聴器を仕掛けて機会をうかがった。理想的な日はロバートがマリリンと会うか、家に来た日である。 「ロバートがマリリンの家に8月4日に行くことになった」という情報がCIAからジアンカーナへもたらされた。これを受けてジアンカーナの組織の殺し屋であるニードルズ・ジアノーラとマグシー・トルトレーラ、それに他2名を加えた、4名の殺し屋チームも現地に到着した。

そして8月4日、殺し屋たちが盗聴器を通じてマリリンの家の様子を探っていると、ロバート・ケネディが到着したようだった。 激しい口論をしており、間もなく精神科医が来て、ロバート・ケネディが 「注射を打って彼女を落ち着かせてくれ。」 と頼んだ。注射をしてしばらくしてマリリンのヒステリーがおさまったのか、ロバートも医者も帰って行った。 

そしてマリリンが寝付いたであろう午前0時ごろ、殺し屋たちはマリリンの部屋に侵入した。マリリンは最初こそ少し抵抗したものの、医者が打った鎮静剤が効いており、思い通りにするのは簡単だった。

手際よく口をテープでふさぎ、裸にしてベッドに横たえ、バルビタール剤と包水クロラールを調合した強力な座薬を肛門に突っ込んだ。口から無理矢理飲ませるのは、顔や身体に揉みあった証拠を残す恐れがある上に吐く可能性があるため、肛門から入れたのだ。 ほどなくして入れられた座薬は血管から体内に入っていき、マリリンは意識を失った。


殺し屋たちはマリリンの口のテープをはがし、身体を拭き、室内の侵入の痕跡を消し去った後、静かに立ち去った。 マリリンの殺害自体は成功したものの、ロバート・ケネディを犯人に仕立て上げるという計画までは実行出来なかった。

ロバートが、警察が来る前にマリリンの死を知ってしまい、すぐにローフォードと探偵オタッシュに指示して、マリリンの部屋から電話番号簿や日記など、自分との関係を示すようなものを総て奪い去ってしまったからだ。 もちろんこの時点ではロバートは、マリリンの部屋に殺し屋たちが来たなどとは知らず、自殺か医者の過剰投与による死亡だと思っていた。

この「ダブル・クロス」に書かれた内容は、事実として公式に認められたものではない。マリリンの死は自殺というのが公式見解となっている。 

しかし不自然な点の多い自殺説よりも、この他殺説の方が説得力を持っているのは確かである。真相は依然闇の中であり、今後もおそらくはっきりと判明することはない。

マリリン・モンロー暗殺疑惑より

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国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

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と統治の根拠となる天皇が過去、現在、未来に渡つて、日本国と日本民族の秩序の源であることを示している。この場合の統治とは伊藤博文が解説するように、しらすであり現実的な権力、うしはくと厳密に分けなければならないのである。

合衆国憲法は合衆国の秩序は法によって護られるゆえ、第 1 章では立法府についての規定が列記される。一方、日本国憲法では天皇についての条項が…

TPPとはなにか ―国際法・条約から考える

フェイスブックのTPPって何?の議論を通じTPPを検証してきたが、ここに来て議論が成熟してきた。JAなどがTPPの「聖域なき関税撤廃で農業はだめになる」という主張はWTO・GATTのウルグアイ・ラウンドで我国が聖域として議論した農産5品目が自由化されるという主張だが、TPPはWTO・GATTの規定内で交渉される自由貿易協定であるから、「聖域なし」は「実質上」と同じ「すべて」ではないという例外を表した言葉だ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

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日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと ー戦後の日本の解体は『菊と刀』から始まった 高橋史朗 WGIP ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program をご存じの方は多いと思う。大東亜戦争に敗れ、我が国は、歴史上初めて他国の占領を受けることになる。占領当初、我が国指導者の目的は、いや日本国民すべてが、連合国による天皇陛下の処刑阻止にあったと言っても過言ではないだろう。評書は第3章で、昭和天皇の処刑を阻止するために、多くの婦人たちの力があった逸話を挿入しながら、WGIPについて新事実も含め詳細に分析を試みている。

誰が陛下の処刑を止めたのか 当初米国上院は、昭和天皇を戦争犯罪人として処刑することを全会一致で可決しており、マッカーサーは議会から、昭和天皇に戦争責任ある証拠を集めるように命令されていた。しかしフェラーズがマッカーサーに、

天皇を戦犯として裁判にふせば、日本全国に暴動は必死であろう。もし天皇を廃せば、全国的暴動が必死であって、特別警備区以外の白人は暗殺を免れない。
 覚書を出すと、マッカーサーも態度を一転、米国陸軍に対し電報を打つ。

天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺がが引き起こされるだろう。その結果、もたらされる事態を鎮めることは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤慨は、間違いなく未來永劫に続くであろう。―中略―そのような事態が勃発した場合、最低100万の軍隊が必要である。軍隊は未來永劫駐留しなければならない。―後略― これによってこれによって米国政府は昭和天皇の訴追をやめることになる。これは比較的著名な事実だが、評書ではもう一つ、昭和天皇処刑方針を転換するにあたり、重要な事実を紹介している。 それは伊藤たかさんという婦人が、マッカーサーに宛てた直訴状、手紙だという。そして日付のあとには署名血判が押してある。当時の右翼はそのような直訴状を出していないということ、直訴状を出したのは婦人ばかりだという事実を紹介している。
 マッカーサーは昭和天皇と会見し、昭和天皇の "You may hang me" という言葉によって心動かされ、フェラーズの覚書、伊藤たかさん等、日本の婦人…

日本は〝心〟という字に見える ─ 日韓永遠の架け橋たらんとした悲劇の知日家・朴鉄柱会長 ─

戦後ソウルに設立した「日本文化研究所 (高千穂商科大学教授) 名越二荒之助 「朴鉄柱大人を偲ぶ」より

恒久的な日韓友好を考えるうえで、避けて通ることのできない人物がおります。それは朴鐵柱という一人の韓国人です。彼は大正十一年(一九二二)、釜山市の東?(トーライ)に生まれ、大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。卒業後は釜山の龍頭山神社や、新羅時代から関係の深い下関の住吉神社(長門一宮、元官幣中社)に奉職しました。彼は学生時代から古事記・日本書記を通して、日本の成り立ちと天皇朝の存在に深い関心を寄せ、その尊貴性に目覚めていました。だから彼としては、神社に奉職することに何のためらいもありませんでした。

終戦後は韓国に帰りましたが、李承晩大統領の反日政権下にあって苦汁を嘗めさせられました。日本の学校を出た者は、「民族反逆者裁判条例」にひっかかって追放の憂目を見ました。やがて朝鮮動乱が勃発。その荒波をくぐって生きのび、動乱が終るとソウルに出て、昭和二十九年五月には、「日本文化研究所」(ソウル特別市中区奨忠洞二街一九七)」を設立しました。「社団法人・日本文化研究所」の「内容書」は、韓日両国語によって書かれており、「趣意書」の冒頭は次のような書き出しで始まります。

「日韓両民族は、各自悠久なる伝統と文化を護持してき、上古よりの密接なる文化的相互交流は、両民族の芸術、風俗、道義観にまで相似共通のものを形成してきたのであります。特に一衣帯水の地理的条件は、お互の全歴史を通じて政治的、経済的、協助を不可避にし、文化的、精神的にも緊密にして不可分離なる関係を確立してきたのでありま
す。」

「趣意書」は大局観に立って、悠久の日韓のあり方を踏えたものです。しかしながら両国の間に、文禄・慶長の役のような「互恵扶助の原理に違背したとき」があった。それは「久遠なる歴史に於てひとつの瞬間的な疾患であり、両国の健全な将来と恒久友和のための契機」にしなければならないとして、研究主題を次の三つに置いております。

一、日本上代文化の研究
二、帰化文化の研究
三、日本の信仰、道徳等精神文化の研究

韓国で朴氏が「日本文化研究所」を設立した昭和三十年頃の日本は、敗戦のショックから醒めやらず、自国文化を
否定し、罵倒する言論がまかり通っていました。その頃韓国で、日本の精神伝統と国体研究の運動が起ったことは、文
字…

正しいTPPの止め方 ―条約承認の手続き

もはや原発もTPPも国民感情は否定的である。安倍総理は、にも関わらずそれらをやめると云へないことに深く敬意を表する。しかし双方とも安倍総理にしか止めることも止めることも出来ないのだから、決断は早いほうが国益になる。

さてTPPの議論で荒唐無稽なのは、交渉に参加したら抜けられないとか、条約は憲法より優先されるので大変だとはいう主張である。もし抜けられない交渉があるのであればそれはマフィヤか何かの交渉なのだろうか。抜けられないのであれば交渉とは呼ばないし、費用をかけて集まる必要もない。さらに滑稽なのは条約が憲法をも優先されるというものだ。国内法というのであればまだしも憲法より優先されるという議論には開いた口が塞がらない。そこで保守的アプローチ戦略第2弾として、憲法によるTPP阻止の戦略を議論してみたい。
憲法と条約の関係を以前国際法の教科書から抜粋して紹介したことがあるが、今回は日本国憲法の解釈学説の立場からの議論を中心に検証してみたい。まず条約を交渉する権限は、憲法の73条3項に、
条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。 内閣の権限として規定がある。少なくとも条約の締結は国民の付託により内閣の専権事項となっている。内閣が条約を締結することに対して国民から法的に異議を唱えることはできなくもないが、手続き的に正しくない。しかし国民が内閣の締結した条約に唯々諾々と従うのが憲法の規定かといえばそうではない。内閣の締結した条約を批准する手続きが規定されている。条文後半の国会の承認を経ることを必要とするとは一時的な熱狂で内閣を信任した国民が冷静になる期間を設ける意味で重要な手続きだ。

さらに、61条に、
条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。 と規定されるように衆議院優先の規定があり、予算案と同等な手続きが規定されている。これらはさらに7条の8、
批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。 と、陛下の認証を必要とする。これら、二重三重の手続きはなぜ設けられているのかといえば、それはやはり国民に冷静な判断を求めるためのクーリングオフ期間といえるのだろう。条約が締結された場合には、98条2項の、
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。…

年次改革要望書

サイトで偶然みつけた原文の、いわゆる「年次改革要望書」だが、TPPと比較してみても面白い。アメリカの戦略なのか執念なのか、はたまた信仰なのか、1994年からもう20年くらいやってる市場開放交渉だ。我国政府も辛抱強くそれに対応していることがわかる。

アジアの精神と日本の役割 -講師朴鐡柱先生

朴鉄柱大人を偲ぶ」(平成3年発行)より093p-107p
私と日本 本日の皆様との出会いは、私、神様のお導きであると固く信じております。

私、現在不治の肺ガンに冒されておりまして、余命いくばくもありませんが、死ぬ前に、是非書き遺しておきたいと思う 一念で、「私と日本」という題で目下昼夜を分たず執筆致しておりますので、一応自己紹介も兼ねまして私のことを申し 述べさせて頂きたいと存じます。

私の生まれは釜山の東?という所でございますが、そこは非常に封建的でしかも反日思想が強い土地柄でありました。私の家は両班(ヤンパン)と申しまして大地主の家ですから、特に反日的雰囲気が強かったのです。

それで私、小さい時、日本で云えば寺子屋のような所に漢字の勉強に通わされておりましたけれど、偶々小学校から日本のおまわりさんが来られて、正式に小学校に入れなさいと両親に説得してくれたんです。しかし両親は聴いてくれませんでした。で、私はどうしても行きたくて、両親に反抗してハンガー闘争と申しましょうか。三日三晩納屋に閉じ籠り まして、やっとのことで許されて小学校に行くことが出来たんです。

どうしてこんなことを申し上げるかと言いますと、実はこれが後に私が日本に目を向けていく契機になったからなんです。

つまりこういうことがあったんですね。小学校二年の時、満州事変が起りまして、日本の兵隊さん達が釜山に上陸して大陸へ向かうんです。私、その兵隊さん達のお見送りに毎朝行っていたんです。勿論両親に見つかったら大変なんですが。そうすると、或る日一人の兵隊さんが側に来て、「君は一人で来たのか」と聴くので、「はい、そうです」というと、頭を撫でてくれましてね。もう兵隊さんに撫でてもらったかと思うと、うれしくて感極まったんですよ。

それで、その兵隊さんと長くおつきあいさしてもらうため文通しようということになって住所を教えたら、その兵隊さんから軍事ハガキを頂いたんです。その方は上野という上等兵でした。満州事変が済んで帰るので釜山で又会いましょうというんです。それで、今でも忘れませんが、駅前に鳴戸旅館というのがありまして、そこに一泊してその上等兵さんのいろんな身の上話を聴いたんです。

その方は、國學院大学の皇典講究所を出た方でございまして、「君は日本へ行ってもっと勉強しなさい」と言って下さったんですね。その…

米国の戦略 ―日米平行協議という法規戦

現在TPP交渉とともに粘り強く行われているいわゆる日米並行協議だが、平行協議が何故行われるかを論じた議論が少ないので考えてみる。いくつかの議論を参照してみても、日米平行協議の問題点を、その片務的な内容であると指摘するのみで、米国の狙いが経済的な分野のみだとする見解が多い。