ゲマインデとファンクショナル・グループ ―村落共同体崩壊と急性アノミー

「飛ばし」報告書を破棄 前副社長ら歴代3社長に説明後
オリンパスの損失隠し疑惑で、山田秀雄前監査役(66)と森久志前副社長(54)が飛ばしの状況について、菊川剛前会長(70)ら歴代3社長に報告書の形で示し、説明後に廃棄していたことが7日、第三者委員会の調査や関係者の話で分かった。報告書は定期的に行われた会議のたびに作成されていたとみられ、飛ばし先のファンド名なども記されていた。三者委は「3人が損失隠しを認識していた」とする有力な証拠と位置づけている
オリンパスの損失隠しが明らかになり、再び日本企業の隠蔽体質が取りざたされている。しかしこれは「隠蔽体質」などという人為的なものではなく、日本人が患う急性アノミーと密接に関係している。そして急性アノミーは親殺しや通り魔殺人のような猟奇的な事件も、また昨今話題のTPP問題の賛否までもこれに由来する。

ゲマインデは通常は共同体と訳されることが多いが、ウェーバーはゲマインシャフトとの違いを、規範の二重性と分配の二重性を特徴とする社会体系だと指摘する。オリンパス事件は日本企業がゲマインデであることを証明している。アメリカの企業は職能集団であり、それ以上でもそれ以下でもない。

日本企業の場合社内と社外では規範が違う。オリンパス事件を例にすれば、損失を隠すことで会社の名誉や利益を守ったという主張があるが、巨額の損出が明るみになり、単年度で赤字が計上されればリストラを含む合理化をせざるを得ない。社員にとってはそれを回避した歴代社長に恩義を感じるのではないか。

一方社会的に考えれば損出を隠蔽するということは所有者である株主に対する義務違反であり明確な犯罪でもある。しかし関係者からこの隠蔽を内部告発するものは現れず、外国人経営者がそれを公にしなければ闇に葬られていた可能性は否定できない。企業内の正義と社会正義が離反している、まさしく「規範の二重性」である。

また監査役、会計事務所、証券会社のOBなども隠蔽を手助けしていたということは未成熟な資本主義を露呈した。よく「会社はだれのもの?」という問いかけに、社長や社長と従業員や社員と答える経営者や従業員が多い。しかしこれは間違いで会社は「株主」のものである。

アメリカでは、会計士は株主から雇われて経営者が不正をしていないか監視する。ところが日本では経営者が会計士を雇う。「強盗が検事を雇うもの」といったのは小室直樹氏だ。株を持っていない社長が株主総会で株主に向かって「弊社は…」というが、会社の所有者は株主なのだから社長は「御社は…」といわなければならない。これも会社がゲマインデたる証左だろう。

日本ではソ連と同じくリストラができない。なので社内失業になる。なぜ社会主義ではない日本でリストラができないのか。答えは簡単だ、日本企業はゲマインデだからである。利益追求という職能集団であれば解雇、リストラは合理的な行動だ。しかし共同体では身内をそこから追い出すことは非合理になる。ここにも二重規範が存在する。

日本のゲマインデは血縁でもなく地縁や身分でもない。ましてや宗教的なコミュニティなど発生しない。では日本のゲマインデの紐帯はなにか、小室直樹氏は「協働」といった。ともに働き汗を流すことこそが日本のゲマインデの特徴であると。言葉も変える。隠語は内と外を分けるゲマインデの特徴の一つだ。

日本は戦前まで大きな意味では天皇―スメラミコト―を中心にした国家共同体であった。資本主義が導入され企業が出来たが、それはあくまでも賃金を得るための手段であり職能集団であった。であるから高賃金の企業に自由に転職した。故郷に錦を飾れなくても疎外感はない。戦争はある意味大きな協働であったからだ。日本は大きなゲマインデだった。

しかし敗戦によってスメラミコトは天皇―てんのう―になり、GHQによって人間にされたてしまった。高度経済成長は村落共同体も破壊した。その受け皿が企業だった。企業は職能集団からゲマインデになり、健康管理から冠婚葬祭、退社後の人生までを面倒みることになった。

しかし高度経済成長は終焉してバブルは崩壊、企業はグローバル化にさらされ、職能集団であることを要求されるようになった。最後のゲマインデは崩壊を始め、人々は急性アノミーとなった。一方、旧態依然とした大企業はこのようなグローバル化のなか、ゲマインデとしての機能は放棄しつつも経営者にはまだ、その特徴である、「会社のため」という聞こえの良い「保身」、すなわち「規範の二重性」は捨てきれなかったといえないだろうか。

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