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世界の中心は「京」

文明法則史学は村山節(みさお)先生が文明の研究―歴史の法則と未来予測で提唱された東西文明が800年周期で陰と陽、栄枯盛衰を入れ替わるという論説である。この論説を知ったときの衝撃は忘れられない。衝撃というよりは腑に落ちたといった方がいいかもしれない。マッキンダーの地政学―デモクラシーの理想と現実をはじめて読んだときも同じ感覚があった。つまりボーっと考えていることが、整理され理論化されて眼前に現れると、衝撃というよりは「あぁ~、そうだったんだ」という何か胸のつかえが取れたような感覚があるが、日本語ではこういうことを得心するというのだろう。


以下、文明周期(800年)交代図の概要を紹介する。(出典:『文明の研究』村山節著)

<紀元前4400年から3600年推定人類最古の文明>
<紀元前3600年から同2800年前>
◎メソポタミアに都市国家発達
◎陽の時代(西) エジプト古王国文明
◎陰の時代(東) シュメール時代
<西暦前2800年前から同2000年前>
◎交代の混乱期  外国人の侵入エジプト衰退
◎陽の時代(東) 古代メソポタミア文明
◎陰の時代(西) エジプト中世的時代
<西暦前2000年前から同1200年前>
◎交代の混乱期  アーリア族大移動→インド侵入
◎陽の時代(西) エジプト・エーゲ文明
◎陰の時代(東) アジア未開時代
<西暦前1200年前から同400年前>
◎交代の混乱期  ドーリア(バルカン民)族大移動
◎陽の時代(東) 古代アジア文明(メソポタミア・チャイナ・インド)
◎陰の時代(西) 欧州暗黒時代
<西暦前400年~西暦400年>
◎ 交代の混乱期  フン族反乱と民族大移動 アレキサンドロス大帝東征
◎陽の時代(西) ギリシャ・ローマ時代
◎陰の時代(東) 中央アジア(クーシャン王朝)
<西暦400年~1200年>
◎交代の混乱期 (東)ゲルマン民族大移動 (西)乱世=五胡十六国(東)
◎ 陽の時代(東)アジア極東文明時代 チャイナ・古代インドネシア・中央アジア文明
◎ 陰の時代(西) 欧州暗黒の中世時代 キリスト教の東西分裂
<西暦1200年~2000年>
◎交代の混乱期 チンギス・ハーンの跳梁と民族大移動
◎陽の時代(西) ルネッサンスに始まり 大航海時代を頂点とする西洋文明の時代
◎ 陰の時代陽の時代(東) アジア没落の時代
<以下現在~>
<西暦2000年~2800年>
◎交代の混乱期  中東における一神教同士の宗教戦争
◎陽の時代(東) 多神教的コスモロジーの到来?
◎陰の時代(西) 一神教文明の崩壊


この論説に歴史学者で元東大史料編纂所教授の酒井信彦先生が「日本の歴史は400年で区切ると分かりやすい」という一文を投稿している。

今回は、私が一応専門としている日本の歴史の話をすることにしたい。私はかねてから、日本の歴史は大体400年という間隔で考えると、比較的理解しやすいのではないかと思っている。現在は、西暦でいって約2000年であるが、この2000年間を400年ずつに、五つに分けて見ることにするのである。それを現在から過去に遡る形でやってみよう。

今から400年前と言えば西暦1600年頃、1600年はずばり関が原の戦いの年である。つまりこの直後に徳川幕府が開始され、それは長い戦国時代を豊臣秀吉が統一し、その事業を家康が継承して成立したものであった。その後の400年間は、江戸時代と明治維新以後が含まれている。歴史学で言うと、近世(江戸時代)と近代(明治から戦前まで)・現代(戦後)である。

その400年前は、西暦1200年前後だから鎌倉幕府という武家政権が成立した時期である。この400年間は、鎌倉時代・南北朝時代・室町時代・織豊時代が含まれているが、歴史学では中世と呼ばれている。ただし織豊時代は普通近世に入れる。この期間は、朝廷や寺社などの勢力が衰え、武士による統一的な封建国家が生み出される過程である。

更に400年前は、西暦800年頃になる。平安京への遷都が794年であるから、この400年間はすべて平安時代ということになる。一口に平安時代といっているが、平安時代は異常に長い期間であることが分かる。この中間、1000年前後が摂関政治の盛時で、紫式部が生きていた頃である。

更にまた400年前は西暦400年前後で、近畿地方で巨大古墳が作られていた頃である。これらの古墳は皇室の祖先が作ったと考えられ、大和朝廷を成立させていた。この400年間のちょうど中間に居るのが聖徳太子であり、太子が摂政になったのが593年、法隆寺の創建が607年である。つまりこの400年間の後半の200年間、とくにその更に後半の100年間つまり8世紀に、日本の律令国家は急速なスピードで形成されたのである。

平城京・平安京に先行する、日本における本格的な都城である藤原京への遷都が694年であって、平安遷都のちょうど100年前になる。この重要な100年間の中ごろに当たるのが、東大寺の大仏開眼で、752年のことである。

大規模古墳の建設より400年遡れば、西暦すなわちキリスト紀元の始めに到達する。文字のなかった当時の日本では、正確な年次は伝わらないが、シナの歴史書によって、紀元57年に「倭奴国王」が後漢の光武帝に使いを出して、印綬を受けたことが分かる。江戸時代に志賀島から出土した金印が、その現物だとされている。

この最初の400年の中間あたりに居るのが、例の卑弥呼である。卑弥呼は239年に、魏に使いを出している。その居住地である邪馬台国の所在が、九州か畿内か長らく論争があったが、最近は畿内説が有力になっている。

以上の400年区分の内、変化の無かったように見える平安時代は、実は日本の歴史の変化・進歩を考える場合、極めて重要な時代なのである。それは急速に成立した律令国家が、次第に崩壊し変質して別種の国家に成って行く過程である。その変化の目安は、土地制度としての荘園の成立と、軍事組織としての武士の出現である。この変化があったからこそ、律令国家がずっと続いたしシナ・朝鮮とは異なった、日本独自の国家に進化したのである。

私は以前、かなり保守的志向が強い人物から、西暦を使うのは欧米キリスト教徒への隷属だとの批判を受けたことがある。しかし、便利なものは便利である。歴史を理解する道具として使うのであり、別に精神奴隷になっているわけではない。

私はかねてからは世界に中心であると主張しているが、そのことを確信したのが文明法則史学との出会いだった。大和朝廷は各地に遷都を繰り返していたが、京(平安京)の地に遷都してからは明治維新まで天子様は京におられたわけである。

今は一旦東の京にお移りになられていいるが、近々京へお帰りになられるであろう。先ごろ大陸の北の京から次のシナ皇帝が謁見に来ていたが、京の天子に会わなくては権力移譲ができないのかずいぶん無理をしていた。東京、西京、南京、北京そして京、日本の天子が京に戻られるとき再び平安の繁栄が我国にもたらされるのであろう。

参考
縄文が日本を救う
文明法則史学800年周期説と日本1
文明法則史学800年周期説と日本2
文明法則史学800年周期説と日本3

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前文
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違憲審査には狭義に付随的違憲立法審査と憲法裁判所制、前者はアメリカ型と後者をドイツ型と呼れている。アメリカ型とは通常の裁判所が具体的な訴訟事件で手続き中、その訴訟の判決に必要な限りにおいて、違憲立法審査権を行使する制度をいう。アメリカ型は第一義的に個別の憲法上の権利救済であり、それを通じて憲法規範の客観的保障もされる。ドイツ型とは憲法裁判所が、違憲立法審査を通常の訴訟事件とは離れて抽象的に法令や国家行為の違憲審査を憲法裁判所が行うものである。憲法裁判所制は第一義的に憲法秩序の保障審査を二義的に基本権の保護機能を果たすことになる。では我が国はどちらに属すのか?

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