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マリリン・モンローはなぜ死んだのか。

1950年代の後半アメリカ政界に彗星のごとく現われ、その若さと清潔な印象、さらには新興とは言え東部有数の財閥の跡継ぎ息子。美しく才能があり、若き夫のさらに一回りも若いフランス風の名前を持つエレガントで貞淑なイメージの妻ジャクリーン。


華麗なる一族

最愛の一人娘キャロラインと暮らす立派な家庭人。大統領職になった以後もホワイトハウスを走り回る子供達と遊ぶファーストファミリーの父として、全ての国民から愛され、そして尊敬されたジョン・F・ケネディ。しかしその虚像は1975年まったくの偶然から国民の前に明らかにされてしまったのである。

現在では、ことケネディの私生活に関してのイメージは地に落ちたと言わざるを得ない。かつての「アメリカン・ヒーロー」の姿を追い求め、清廉潔白、人生の総てを合衆国に捧げた至高の人・ケネディを胸に描き神格化する人々にとっては、もはや「ケネディ神話の殿堂」の世界に奥深く入り込む以外に方法はなくなったと言えるのではないだろうか。

今回は誠に不本意ながら避けて通れない項目としてケネディの女性関係に言及してみたい。

1975年上院チャーチ委員会

ケネディ大統領の奔放で、時としては無軌道としか言えないような女性関係が表面化したのは、事件から12年した1975年、全くの偶然からであった。当時上院に設置された情報活動調査特別委員会が戦後、歴代のアメリカ政府による外国指導者に対する暗殺工作を取り上げて追及していた。

委員会はこの調査のなかでCIAがキューバのカストロ政権の打倒と、首相個人の暗殺工作を、ケネディ政権の上層部の支持もしくは了解のもとに進めていた事を明るみに出した。それだけでも、国際法や国連憲章に違反する重大な違法行為であるが、CIAがカストロ暗殺計画を進める中で、暗黒街の大物達の協力を得ていた事、こうしたマフィアのドンの愛人が、こともあろうに当時現職の大統領の愛人でもあり、ホワイトハウスや大統領の旅行先で数知れぬ密会を重ねていた事実が浮かびあがったのである。

1975年9月、委員会はこの愛人、ジュディス・キャンベル・エグスナーと名乗る女性を秘密の聴聞会に呼び出して話しを聞いた。しかし、あとで委員会が発表した報告書には、大統領とマフィアの共通の愛人は「ケネディ大統領の友人」とあるだけで、名前は勿論、住所も職業も、それになんと性別すらも書かれていない。

この「友人」は1960年初め、すき通るような青い眼、肩まで届く長い黒髪で大統領選挙中のケネディ上院議員を一日で魅了した、当時26歳の元ハリウッド女優であった。報告書にそんな事を書けば、ケネディ大統領の不倫が、こともあろうに議会の公式文書にのり、しかもアメリカ大統領がマフィアのボス、正確には二人のボス達と愛人を共有したという前代未聞の不祥事を公表することになってしまうからである。

委員長フランク・チャーチは委員長の権限を最大限に使って野党の公表要求を強引に封じ込めたのであった。それにしても、以降25年ほどの間に多数の研究者や関係者の証言、「情報の自由法」にもとずいて解禁された資料などで浮かび上がったケネディ大統領のプライベートな横顔は、どのような角度から見ても大衆を驚かせ、目や耳を疑わせるほどの異常さを帯びていることは認めない訳にはいかない。

この項目を制作している最中にに、またしてもわれわれの耳を疑わせる一通の新聞記事が掲載された。ケネディ大統領とあのドイツの生んだ永遠の美女「マレーネ・デイートリッヒ」との密会の記事である。

確かに1960年の初頭においてはデイートリッヒはすでに60歳を過ぎていたにもかかわらずその美貌は他を圧倒していたと言うが、それにしても、60歳は60歳である。この事が事実であったのならば、我々の心のなかにさらにその異常さに拍車がかかる事も残念ながら認めない訳には行かないのである。

しかし、この様な現実に目をつぶるよりは、ケネディの乱れた私生活を歴史的事実として受け止め、このような性癖や素行を持った政治家が、一方では1960年代の世界政治や国内の政治・経済・社会問題に勇気とビジョンを持って取り組んだ姿を、一つの壮大な「人間ドラマ」として見つめるほうが実り多いものになるのではないかと考えるのは一人自分だけであろうか。

父・ジョセフの影

ケネディの女性関係のあれこれに立ち入る時、常に痛感させられる事は、彼が生まれた億万長者の家が世にもおぞましい不健全な家庭状況であったことである。

ジョン・ケネディの父ジョセフ・ケネディはご承知の通り、飢餓に苦しむ故郷アイルランドを逃れて「新世界」へやってきた貧困移民の三世であるが、株式投機、映画製作、はてはマフィアと手を組んだ、違法な密輸酒事業に手を染め、まさに一代で巨額の富を築き上げた人物である。

評論家マイケル・サリバンは「貪欲こそがケネディ家の唯一無二のモットーであった」と厳しい言葉を吐いている。ジョセフは並みの一代富豪と違い、巨万の富を集めたあとも決して現状に満足せず、手を休める事無く、さらに多くの富、多くの権力、多くの名声を求めて突き進んだ。

彼にとって人生とは次から次へと果てしなく続く力比べであった。その生活信条からくるケネディ家の家訓は「ナンバー2は必要無い。常にナンバーワンであれ。ケネディ家の人間は勝つ為にのみ存在する」といったものであった。そしてジョセフ自身その信条は終生変わる事が無かった。

このような父親が、家庭で子供たちに見せる素顔に道義感がかけていたとしても決して不思議ではない。ジョセフは親代々のカトリック信者として厳しくしつけられて育ったにもかかわらず、事業の面でも家庭生活の面でも倫理観の留め金がみごとに外れていたのである。

父ジョセフの女性遍歴はこのページで一項目を設けてもとても足りないほどのものであり、それらの素顔を見て育ったジョンやロバート・エドワードの心の中に同様の「正義」が植え付けられていったとしても致し方のない事であった。

さらには、彼らケネディ兄弟にとって不幸であったことは、彼らの家族観、女性観を早い時期からねじまげてしまったのは、ジョセフの奔放な生活だけからくるものではなかった。

敬謙なカソリック信者で、夫が留守がちの家庭で数多くの子供たちを女手一つで立派に育て上げ「良妻賢母」のモデルのように伝えられた母ローズも実際には「母親失格」に近い女性であったことが明らかになっている。

ケネディ大統領が友人ビル・ウオルトンに語ったと言われる言葉が明らかになっている。ジョンが打ち明けた母親観とはこうであった。「母は直輸入のファッション洋裁店にいるか、教会でぬかずいているかのどちらかの日常だった。

本当に側に居てほしいときには、いつも家を空けていた。母がこの私を抱いてほほずりしてくれたことは一度もない。絶対に、絶対に一度も無かったよ。」

ジョン・ケネディが終生、数多くの女性と浮き名を流しながら、青年期のごく一時期を例外として、一度たりとも愛におぼれたり、相手に献身的な愛情を注いだことがなかったのは、こうした心理的な「両親不在」の寒々とした家庭環境からきたものと思われる。

そしてその悲劇は大統領自身の家庭においても演じられてしまったのである。彼は、上院議員時代の1953年に結婚したジャクリーンを人前ではごく大切に扱い、ホワイトハウスに入ってからも一貫して「愛妻家」のイメージを守り続けた。だがケネディにとって妻とは政治家の欠くべからざるアクセサリーでしかなく、決してそれ以上のものではなかったのである。

そして、自分に期待されるこのような役割を自覚したジャクリーンも、そうした虚像を自分の側からも積極的に作り上げ、夫とは全く別の世界で生きるようになる。皮肉なことにケネディは30年ほど前の父ジョセフの役割を、ジャクリーンは同じく義母ローズの役割をそっくりそのまま演じていたのである。

そしてケネディ亡き後のジャクリーンは自由を得た白鳥のごとくアメリカを捨てたのである。「最愛の夫を奪ったアメリカを、私は生涯憎む」という大義名分を翼として。

大統領が愛した「暗黒街の恋人」達

ケネディ暗殺事件の一年三ヶ月前の1962年8月5日一人の女性の死を伝えるニュースが全世界を駆け巡った。ノーマ・ジーン・モーテンセンと言う名の女性の死を伝えるものである。この名前では分かるまい、1950年代のアメリカと世界を沸かせた「性の女神」こと「マリリン・モンロー」その人である。
彼女の死は40年近くなった現在でも尚、自殺説、他殺説が交錯しケネディの死同様にアメリカ国民の猜疑の目でみられている。そのモンロー自身もケネディの愛人であり、「キャメロット伝説」の重要な脇役の一人であった事実は当時のアメリカ国民が驚きながらも、現在では受け入れられつつある。

しかも彼女の交友関係は一人大統領にとどまる事無く、弟ロバートとの錯綜した愛情関係がからんでいたと言う衝撃的な事実もあきらかになってきている。

写真は1962年5月20日、大統領の誕生日祝賀パーティーの席上でマリリンが「ハッピー・バースデイ」を歌って祝福した時に舞台裏で撮影された、ケネディ兄弟とマリリンの三人が写った写真であるが、この写真を見たロバート・ケネディは激怒し、この写真を司法省の権力を使って非公開とさせたと言われるいわく因縁付きの写真である。
彼女が死亡した頃のマリリンの自宅周辺はFBIやマフィアの手先達がうろつき、彼女自身の行動はこの二つの組織の完全な監視下に有った事が明らかになっている。

ではなぜ一介の映画俳優(とは言ってもモンロークラスになれば”一介の”とは言えないであろうが)の行動が公の国家捜査機関や暗黒街組織の監視の対象になったのであろうか?FBIの監視は国家安全上の大統領に対する”保護処置”との名目に守られたフーバー長官の延命工作の一環であり、同様にマフィアの監視はマフィア組織の存続をかけた対ケネディ一族との戦いの一環であった事は明らかである。

そして、このマリリンとジョン・ケネディとの交友関係の始まりにも、マフィアの魔手が働いていたという事実も又明らかになっているのである。ケネディ大統領の危険な「火遊び」の相手は、当然ながらマリリン・モンローだけではなかった。

80年代後半に公表されたFBIの報告によると、フーバー長官直々の指令でケネディのホワイトハウスを事実上”監視”していたFBI当局は2年10ヶ月あまりの短い在任期間中に、ケネディ大統領がホワイトハウス及び遊説先の各地で「親密な関係」を持った女性を少なく見積もっても32人以上であるとし、そのリストをフーバーに報告している。

この中ではマリリン・モンローの知名度には及びもつかないが、交遊の深さと、とりわけマフィアの巨頭と大統領の連絡をとりもったことで重要な役割をはたした女性が、前述のジュディス(愛称ジュディ)・キャンベルであり、その存在は際立っている。

ケネディは、大統領選挙戦中から始まり、当選して大統領就任後も二年足らずの間にジョージタウンの自宅やホワイトハウスで確認されただけでも約20回ジュディと二人だけの時間を過ごした。

ジュディがホワイトハウスにかけた電話の回数が約70回、すべてFBIによって確認されており、なかにはジュディのもう一人の愛人でシカゴ地区を取り仕切っていたマフィアのドン、サム・ジアンカーナの自宅から公然とかけていたものも含まれている。

ジュディの後年の回想によると、大統領とマフィアののボスとの共通の愛人と言うユニークな立場にあって彼女が「使者」として実現させたケネディとジアンカーナの直接の会談は10回に及び、その内の一度は所もあろうにホワイトハウスで行われたと言う。

モンローとジュディに代表されるケネディ大統領のきわどい女性関係は、当然ながらマフィア首脳たちから詳しく監視され、しばしば秘密のテープレコーダーで録音された。

これがマフィアによって脅迫の材料にされたら、ケネディの大統領職の遂行にも重大な影響が出るだけでなく、アメリカ国歌の安全保障にさえも影響が出る可能性が十分にあった。ジャクリーン婦人の従兄でケネディ研究家として知られるジョン・デービスは「200年に及ぶアメリカ大統領政治のパノラマの中で、モンローとジュディを相手にしたケネディの二つの情事は、きわめつきの”危険な関係”であった」と断言している。

その後のジュディスは大統領暗殺後、一時ジアンカーナと共に暮らし1972年一回り年下のプロゴルファー、ダン・エグスナーと結婚つい先年1999年9月27日、65歳で亡くなった事は談話室においてご報告した通りです。

利用された情事

モンローの監視、さらにはホワイトハウスの監視と、少なくとも政府直属の機関が直属の上司のトップである大統領の周辺を監視するなどと書いたが、ある意味では、フーバー長官が、アメリカ政府の神経中枢であるホワイトハウスにマフィアの巨頭たちの影響が及ぶのを恐れて、ホワイトハウスを秘密のうちに監視下に置いた。と、好意的に解釈する事は可能である。
しかし現実は違っていた。フーバー長官はその在任中「アメリカにはマフィアと言うような犯罪組織は存在しない」と公言していた事は有名な話である。

したがって、フーバーが部下達にケネディのホワイトハウスを監視させ、詳細な報告を本部に送らせていた最大の理由は、時の権力者ケネディの個人的な弱みを握り、FBI長官としての自分の地位を半永久的に守るための道具にしたと考えるほかない。

ある日FBIの執拗なまでの監視に思い余ったジュディは、ケネディに訴えた。国の最高権力者だから、政府の一組織に過ぎないFBIの「行き過ぎ」など、ツルの一声で終わらせてくれるものと期待したのである。

ところが、帰ってきた返事は意外にもそっけないものであった。「気にするな。連中はなにもしやしないよ。放っておけばいい、フーバーが私に仕返しをしているだけなんだ。あの妙ちくりんな野郎め!」というものだったとジュディは回想している。

そして1962年3月22日、決定的な瞬間がやってきた。この日の午後1時、フーバーはケネディ大統領からホワイトハウスでの昼食に呼ばれたのである。ケネディはこの会談でフーバーにFBI長官としての「引導」を渡すつもりであったといわれている。

若くしてフーバーの上司となったロバートは、自分が先頭に立って大々的に進めている犯罪組織”マフィア”撲滅運動にフーバーが全く協力する姿勢をみせないのに激怒し、兄、大統領に対してフーバーの更迭をしきりに訴えていた。

大統領はフーバーを嫌う点では弟にひけをとらなかったものの、政財界、報道界などに隠然たる影響力を持つこの老獪な官僚のクビをうまく切れるかどうか確信が無かった。そして、フーバーが自分の私生活の隅々まで熟知しており、フーバーと政治的に「心中」でもしない限り、FBI長官の座から追い払う事の出来ない事を、まもなくいやというほど知らされる事になるのである。

3月22日の会談はホワイトハウスの二階にあるダイニングルームで昼食をはさんで延々4時間に及んだ。同席したのはただ一人、大統領の”忠臣”オドンネル補佐官であった。会談の中味については後年いろいろな事が書かれているが、詳しい事は何一つ解っていない。

ただ一人生存しているオドンネルはずっと後になって、会談が終わったあとケネディが怒りを爆発させ「あの野郎を片つけてしまえ!どうしようもなく目ざわりな野郎だ!」と自分自身に叫んだと回想している。上品なカソリックの家庭に育ち、名門ハーバードを出ているのに、ケネディの乱暴な言葉つかいは知らぬ者とてなかった。

フーバー長官も、通常はいつも会談の内容を几帳面なメモとして残す事で有名であったが、この時ばかりは、一切のメモ、記録を残させなかったと言う。

しかし、あらゆる状況証拠を総合すると、この席上フーバーはFBIが集めた資料や情報の結果として、ジュディス・キャンベルなる女性が頻繁にホワイトハウスに電話をかけている事、この女性はマフィアの首領ジアンカーナ、さらにはその右腕と言われるロゼリと情を通じている事、さらにはCIAが暗黒街の首領達を動員してカストロ暗殺計画を進めており、ジアンカーナもその計画に参画している事などを大統領に告げ、早急な対応を要請したと見られる。

ジュディとの関係は1960年の時点でフーバーの耳に入っていたが、この会談の席上フーバーが直接大統領に向かって、マフィアの愛人と手を切るように進言したとは思えない。頭の回転が人一倍速いケネディには、きわめて間接的な表現で攻めるほうが効果がある事をこの老獪な情報官僚は熟知していたと思われるからである。

この瞬間、ケネディはフーバーの首を挿げ替える事をあきらめた。フーバーは合衆国大統領を相手に一世一代の「脅迫」を試み、まんまと成功したのである。

しかしながら、その後明らかになった事実、フーバーが自分自身では存在すら否定していたマフィアの首領達との「黒い交際」の事実が明らかになるに及んで、フーバーがケネディ兄弟の自分に対する憎悪が頂点に達していることを知った彼が、みずからの保身のために(勿論、積極的ではないにしても)何らかの陰謀を知ったと仮定した時点でそれを「黙殺」した可能性を全く否定することが出来ない状況下にあった事は、あくまでも「私の個人的な意見」とお断りした上での状況判断であると言わざるを得ない。

事実、フーバーを解任しようと試みた大統領は、彼が長官として仕えた7人の大統領の中でケネディ大統領ただ一人である。そして1972年、77歳のフーバーは現役のFBI長官としてこの世を去った。時の大統領ニクソンは彼の死にたいして「国葬」の礼をもって臨んだのである。

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日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 前文

これから日本国の新憲法草案を提案しよう。どうしてそう思ったかは単純だ、今の日本国憲法は近代憲法の要件を満たしていないと思われるからだ。近代における国家は主権者である国民の国家形成への強い意志によって成り立っているとする。―するとしたのはもっと奥深い部分では違うと考えているが、近代に対応するためにそう仮定することにしよう。

近代思想において国家は、たとえ国民がひとりでも、国民意志があれば形成することができるとされる。しかしそれは利己的な個人意志ではない。五箇条の御誓文で公論と示された、意志を国民主権では民意というのであって、それがなければ近代国家は存在しないのである。さらにその意志は個々人の中にある不条理で熱い志であり、それを顕現しあるいは不当な隷属の強要から擁護されなければならないと考えている。

そして近代における憲法はその国家を統治する権力を制限するために制定するものであり、国民から政治権力への手紙であり、もっと強く表現すれば命令書として機能するのもである。よって国民が必ずしも従うべきものではないという性質のものである。
統治体というのは国際的には近代国民国家が国際関係を維持するため、またはその関係が破綻した場合に起きる紛争を解決したり、戦争を遂行し条約を締結するための代表府である。同時に国内においては共同体秩序を維持発展させるために制度や法律を制定する立法府、制定された法律をもとにそれを執行する行政府、そして行政が正しい手続きで行われているかを監視したりあるいは手続きの瑕疵を判断する裁判所などの組織のことである。

しかしこれらの組織は主権者である国民の自由を拘束したり法律を不当に行使したりする可能性があるので主権者は組織に対し、してはいけないことと、積極的にしなければならないことを文書によって命令する、それが憲法の本質なのである。そういう視点をもって世界最初の憲法らしい憲法であるアメリカ合衆国憲法と戦後アメリカの占領下制定された日本国憲法を比較してみよう。


アメリカ合衆国憲法(日本語訳)
前文
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。The Constitution o…

国際関係論で論じられる理想主義

リベラリズムほど解釈が多様にある言葉はないと思う。日本語では自由主義と訳される場合が多いのだが、昨今では自由主義とリベラリズムは対立する政治姿勢ともいえる。よって自由主義をリバタリアニズムと呼ぶのが一般的になりつつある。本稿の場合はリベラリズムを社会自由主義的な用法、ようするに国際関係論で論じられる理想主義として論じることにする。

20世紀の戦争 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように産業革命による技術革新が戦争を巨大化、無慈悲化させた。世界は巨大化・無慈悲化する戦争に対して、一定の規則を締結したが、その後に勃発した第一次世界大戦は大規模かつ無慈悲な消耗戦によりヨーロッパ社会に大きな衝撃を残した。

第一次世界大戦の塹壕戦や化学兵器の使用は、ただ敵を消耗させるための戦略で、それまでの戦争とは様相が大きく変化した。戦争は国家が軍に命令して、軍が名誉をかけて行う営みから、国家国民全体で行う営み全体戦争つまり総力戦へと変容した。

パリ不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)は大戦のような悲惨な戦闘を二度と繰り返さないために交戦国、非交戦国も含めて63カ国が署名した。目的は戦争の違法化、特に侵攻戦争の違法化を目指したが、最終的には侵攻戦争を非難するにとどまった。


貧困が戦争を起こす もし社会が現状で固定されるとしたら、現在比較的幸福な人はいいが、もし不幸な人はどうだろうか。それはその人の希望を奪い去ることになる。国家同士の戦争もある一面では現状に満足できない国家と、それを阻止しようとする国家の営みといえる。

第一次大戦後ヨーロッパの比較的裕福な人々の間で戦争が二度と起こらないように、家族友人の死、あるいは戦争による破産などの不幸をなくすには、どうしたら良いか考えられたのは自然なことだ。そして彼らは結論した。「貧困が戦争を起こす」。

大戦中ロシアでは革命が起こりソ連邦が誕生する。国民(ソ連に国民がいたかは定かでないが)に貧困のない平等な生活を提供する統治体の出現に、ヨーロッパのエシュタブリッシュメントは期待と不安の眼差しを向ける。
リベラリズムの誕生 フランス革命の惨劇を経験しているヨーロッパの裕福な人達は、現状を維持しながら戦争を防止する政治体制の確立を急いだ。そのような背景でリベラリズム理論が誕生することになる。その理論は金持ちはそのまま、貧乏人はもう少しお金持ちにすることだ。

日本国憲法の研究 ―合衆国憲法との比較 第1章

近代憲法は、主権者である国民の意志として、組織される政府に対する命令書なので、前文は、その意志を表現したものがふさわしい。そしてその目的を明確にする必要がある。さらにその目的のために、憲法を制定するわけなので、そういうことを頭に入れたうえで、再び前文を読むと、合衆国憲法は、

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
目的意志がシンプルかつ明確に表現されている。これと比較して、日本国憲法における国民意志もしくは達成したい目的は、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。に色濃く現れ、

これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
が次にくる。なぜわざわざ一切の憲法と法令と詔勅と断る必要があるのだろうか。ここにこの憲法を制定した意志があるのではないだろうか。そして最後には、

国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

目的を達成することを、宣言命令するのではなく誓ふ。さらに誓ふ対象も明記されていない。我々日本国民は、誰に対して目標を達成することを誓ふのだろうか。 これに答えを出せる憲法学者や国会議員が、我が国にはどれほどいるのだろうか。国民はそれを疑問とも考えていないのだろか。

第 1 章はその意志を具体化する、そして目的を達成するための第一歩ということだ。最重要なことを最初に申し述べているのである。アメリカ合衆国にとって最重要なことは法の支配、法による秩序であり、日本国では天皇―スメラミコトによる秩序―これをしらすという―であるということだ。大日本国憲法では、

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誰が陛下の処刑を止めたのか 当初米国上院は、昭和天皇を戦争犯罪人として処刑することを全会一致で可決しており、マッカーサーは議会から、昭和天皇に戦争責任ある証拠を集めるように命令されていた。しかしフェラーズがマッカーサーに、

天皇を戦犯として裁判にふせば、日本全国に暴動は必死であろう。もし天皇を廃せば、全国的暴動が必死であって、特別警備区以外の白人は暗殺を免れない。
 覚書を出すと、マッカーサーも態度を一転、米国陸軍に対し電報を打つ。

天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺がが引き起こされるだろう。その結果、もたらされる事態を鎮めることは不可能である。天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤慨は、間違いなく未來永劫に続くであろう。―中略―そのような事態が勃発した場合、最低100万の軍隊が必要である。軍隊は未來永劫駐留しなければならない。―後略― これによってこれによって米国政府は昭和天皇の訴追をやめることになる。これは比較的著名な事実だが、評書ではもう一つ、昭和天皇処刑方針を転換するにあたり、重要な事実を紹介している。 それは伊藤たかさんという婦人が、マッカーサーに宛てた直訴状、手紙だという。そして日付のあとには署名血判が押してある。当時の右翼はそのような直訴状を出していないということ、直訴状を出したのは婦人ばかりだという事実を紹介している。
 マッカーサーは昭和天皇と会見し、昭和天皇の "You may hang me" という言葉によって心動かされ、フェラーズの覚書、伊藤たかさん等、日本の婦人…

合衆国憲法及び合衆国国内法とTPP ―まとめ

以下はTPPってなに?でリアルジャーナリスティックに議論を展開される石塚幾太郎さんが作成した、TPP交渉にあたって関係する米国憲法及び国内法の関係とその成立過程をまとめたものだ。(一部URL表示をリンクに取り込んだ)

TPAの成立過程
1.憲法上の通商交渉権限規定

(1)合衆国憲法
合衆国憲法立法部第8条第3項に「通商交渉権限」が議会にあり、執行部第2条第2項に「条約締結権」が上院の助言と承認のもとに大統領が有していることが記載されている。

「通商協定」の批准は、上院3/5(60名)、下院過半数の可決が必要。条約の批准は上院2/3の可決が必要である。

合衆国憲法(在日米国大使館)HP

(2)日本国憲法
日本では、憲法第76条第3項の規定により、通商協定も条約であり、締結は内閣の専権事項になっている。国会は、締結された条約(通商協定)を批准するか否決するかの採決を行う。 2.世界恐慌からの脱出
1930年、世界恐慌の経済対策として、米議会は、大幅な関税引き上げ(1930年関税法)を可決し、施行した。この動きが世界中に拡散し、いわゆるブロック経済の対立を生み出し、第二次世界大戦の原因ともなったと言われている。

関税引き下げを訴え当選したルーズベルト大統領は、1934年関税引き下げの権限を議会から獲得することに成功する。(1934年互恵通商協定法)この法律は時限法であるが延長を重ね1967年失効するまで継続する。

3.ケネディラウンド合意の議会不承認
GATTケネディラウンド(1964~67年)で、議会が政府の合意した協定を部分的に受け入れなかった。(国際アンチダンピング・ルールと米国非関税障壁ASPの撤廃)

国際アンチダンピングについては、米国法(1921年アンチダンピング法)のコード(品目)と一致するもののみ適用とする法律(90-634)を成立させ、ASPについては、国内実施法を成立させなかった。

この時、通商協定より国内法が優先することが、議会と大統領府の共通の認識になった。

4.1974年通商法の成立
このケネディラウンドの合意批准不成立が、交渉官が他国に信憑性を疑わせると心配、ニクソン大統領は東京ラウンドに向けて、ファストトラック法を1974年通商法に挿入する提案を行った。

上院の審議のなかで、議会と相談し、締結90日前には、必要書類を提出するルール、締結後、内…

日韓併合 百年目の真実 李完用が救った大韓帝国

本年2010年8月29日は法律上の専制君主大韓帝国皇帝純宗が勅諭を発表して日本と韓国が合併したことを内外に示してから100年目にあたる。


韓国皇帝の勅諭 皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

日韓併合100年目を前に韓国の反日派からの様々な動きがあるのでまとめてみたい。

2010年5月11日のこのようなニュースを目にした。

日韓知識人が共同宣言「日韓併合は当初から無効だった」
看過できないのは多くの日本人学者が関わっているという点 …今回の声明には発起人である和田春樹東京大学名誉教授をはじめ、日韓歴史共同研究委員会の日本側の座長を務めた三谷太一郎東京大学名誉教授など105人が声明に署名している。一方、韓国ではイ・テジンソウル大学明楊教授やカン・マンギル高麗大学名誉教授、詩人の高銀氏や金芝河氏のほか、幅広い層から109人が声明に署名した。… …声明では、「併合は大韓帝国の抗議を軍事力で押さえつけたもので、韓国側が国権の譲与を申し出たとする内容も虚偽(きょぎ)である」と指摘し、日本政府が日韓併合条約について「無効」であることを認め、8月の総理談話に関連内容を盛り込むように、積極的に働き掛けるとしている。… 2010年07月18日には、

日韓併合100年で日本が韓国へ謝罪、中国も大きな注目

8月29日に日韓併合100年を迎えるにあたり、日本政府は韓国に過去の植民地統治を謝罪する方針を明らかにした。17日、環球時報は「日本は韓国側…

育メンのためのアドバイス ―妊娠6ヶ月

妊娠6ヶ月 歯医者さんには早めに行こう。多くの人が胎動を感じ始める時期だ。ゆったりとした服を着て、膀胱炎や風邪、インフルエンザに注意しよう。鉄分とビタミンCは貧血を予防する。体の左側を下にして横になり、体重の増えすぎや便秘に注意しよう。便秘を予防するために食物繊維と水分を摂ろう。喫煙、薬の服用、アルコールやカフェインの摂取は妊娠中控えよう。

20週目126日から132日 赤ちゃんのプロポーションは新生児のミニュチュアのようになった。目、鼻、耳、唇など表情は穏やかに見える。指をしゃぶって呼吸の練習をし始める。手 足の動きが活発になり、寝ている時間とがはっきりとしてくるだろう。心臓の動きも活発になって、聴診器で心音を聞くことができる。腰痛の人は硬いマットレスで 寝てみよう。

ベッドの人は、布団に変えてみるのも気分が変わっていいかもしれない。妊娠中は、歯茎が敏感になり、腫れたり、出血したりすることがあるが、これはホルモンが原因だ。髪の毛や爪がよく伸びるのも、ホルモンバランスの影響だ。胎児を包んでいる羊水は、3時間おきにすべて交換される。水分補給は羊水の取替を助けて妊婦 の健康維持にも重要だ。

ジュースは果汁100%のものだけを云い、甘みを加えたものをエードという。人間の体重の55~60%が水で、羊水の99%は液体です。水分は1日 200㏄グラス12杯分を摂るようにしよう。最も血液の流れをスムーズにする寢る姿勢は、左側を横にして足の間に枕を挟んで両足をクロスした時だ。むくみを防 ぎ胎児に送る血液を最大限にする。仰向けに寝ると心臓に戻る血流が悪くなり、うつぶせでは心地悪いでしょ。

21週目133日から139日 赤ちゃんが女の子の場合子宮の成長がほぼ完成する。男の子の場合、睾丸が骨盤から陰嚢に下がり始め、骨が固い骨になる。

まず硬くなるのが頭蓋骨だ。眉毛や髪の毛がはっきりと認識できるようになる。この時期赤ちゃんの体脂肪分は3.5%。これから誕生までに蓄えられる。

133日目はちょうど折り返しで、あと133日目が予定日になる。赤ちゃんは、子宮から出て外界に適用する準備を始める。女性の9割近くは貧血気味だが、妊娠をすると2割近くの女性が鉄分の不足で貧血になる。また貧血には血糖値の低下で起こることもあるので、手軽にたべられる物を持ち歩き、 こまめに食べるようにし…

TPPとはなにか ―GATT・WTO体制から考えるTPP

TPPというのはWTOが認めるGATT体制の例外で、自由貿易協定や関税同盟などの地域貿易協定のことだ。そのことについての議論が国会の場でもあまりされていないように思う。おがた林太郎元衆議院議員のブログそもそもFTAとはというエントリーがあり、自由貿易協定の根拠はガット24条だということを知らない議員が多いと指摘している。

経済産業省の説明では自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)と関税同盟(Customs Union)を総称して地域貿易協定としている(RTA: Regional Trade Agreement)が、これらはGATT・WTO体制の例外として認められている協定で、それを規定しているのがガット24条という事になる。経済産業省のHPに関税及び貿易に関する一般協定、GATTの翻訳が掲載されている。
この協定の適用上、
(a) 関税同盟とは、次のことのために単一の関税地域をもつて二以上の関税地域に替えるものをいう。
(i) 関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条及び第二十 条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)を同盟の構成地域間の実質上のすべての貿易について、又は少くともそれらの地域の原産の産品 の実質上のすべての貿易について、廃止すること。
(ii) 9の規定に従うことを条件として、同盟の各構成国が、実質的に同一の関税その他の通商規則をその同盟に含まれない地域の貿易に適用すること。
(b) 自由貿易地域とは、関税その他の制限的通商規則(第十一条、第十二条、第十三条、第十四条、第十五条 及び第二十条の規定に基いて認められるもので必要とされるものを除く。)がその構成地域の原産の産品の構成地域間における実質上のすべての貿易について廃 止されている二以上の関税地域の集団をいう。 TPPも含む地域貿易協定の根拠は24条にある。つまりTPPにも最恵国待遇が適用されるということだ。一応経産省のHPから最恵国待遇のPDFにリンクを張る。

WTOはその前進であるGATT(General Agreement on Tariffs and Trade) 関税及び貿易に関する一般協定が機関に昇格したものだが、実は国際通貨基金、世界銀行と並びブレトン・ウッズ体制の枠組みとして発足する…