現代日本にかけているもの ―リーダーの条件

日本経済がおかれた状況を多くの経済学者、評論家が分析しているが概ね意見が一致している。米国、欧州における金融バブルによる過剰な消費の内、日常品は中国、その他嗜好品、高級品は日本の輸出で消費され、その消費地の米国、欧州が金融危機でいっぺんに消費が落ちたので、日本の輸出産業が周辺産業とともに業績が悪化した。同時に起こった円高がそれに拍車をかけて今日のこの惨状を迎えていると言ったところである。

こけたらたちなはれ!

しかしながらその対策と言えば今度は千差万別、十人十色、百花繚乱だ。そのような状況下米国、欧州、日本などの先進国政府は国民の要求により、現在は社会主義経済かと思えるほどの財政政策を実施している。

未曾有の金融危機、百年に一度の経済危機と今回の一連の金融システム崩壊を形容しているが、各国の指導者の危機に対する対応はと言うと必ずしも充分とはいえない。多くの戦史やスポーツや経営で危機的状況から脱出した逸話は多くある。たとえば経営の神様、松下幸之助は「こけたら立ちなされ」と言ったという。

また日露戦争の黒溝台の会戦で窮地に陥った秋山支隊を、急遽救援に派遣された第8師団(立見中将)は、逆にロシア軍に包囲されてしまう。このとき立見中将は隊長を集めシナ長持ちに乗り地団駄を踏み叱咤激励をする。そしてその長持ちを踏み潰してしまう。隊長たちは立見中将の滑稽さと長持ちを踏み潰してしまうほどの血気によって勇躍して、全滅の危機から脱出することになる。

日露戦争では他にも大山元帥が満州総軍の総司令官に親補された時、参謀長の児玉源太郎に作戦は児玉さんに一任するが、負け戦になったら自分が指揮をとると言っていたと言う。

これらの逸話はすべて危機に際しての組織のリーダーのあり方を示唆している。危機に際して人は過度の不安を持つ。理論理屈はわかっていても現状の悲惨さから悲観的な結論しか見出せなくなるのものである。そのような状況でいくら理論理屈を吐いても無駄である。
  1. 不安な気持ちを払拭させること。状況をシンプルに考えさせること。そして将来の展望を示唆すること(こけたら立てばいい)
  2. 強い信念を表現すること。なにがあってもくじけないということを率先垂範すること。人を責めるのではなく、自身の不甲斐なさをせめる。(助けにきたのに包囲されてしまって地団駄踏んでる自分に叱咤激励)
  3. 最後には責任が自分(リーダー)にあることを示唆する。(負け戦になったら自分が指揮をとる)
危機に際しては高尚な理論ではなく、とにかく人心把握なのである。リーダーは部下や組織の構成員に対し、未来を与え、激励し、責任の所在を明らかにすることが大切なのである。僕が知る中でこれらのことを未曾有の危機的状況において行ったのは、畏れ多くも大東亜戦争終戦時の先帝陛下ではなかったかと思う。



大東亜戦争の天皇陛下

大東亜戦争前に日本はソ連の諜報活動より全体主義的社会が意図的に醸成されてしまった。国防や経済、外交担当者など政策実行者に多くの全体主義者が入り込んでしまった。彼らは侵略をしてくる欧米列強へ対抗する、国民的要求と一見すると合致しているかのように見えたので、利用するものと利用されるものを判別することが困難な状況を造り出してしまった。

「高度国防国家」は外圧に対抗する上で醸成された国民的要求であったが、ソ連の狙いもそこにあった。つまり国民的要求として全体主義体制を確立させて、支那、米国との戦争で疲弊させたのち、コミュンテル主導による革命を勃発させて、スターリンは革命成立後国家社会主義者を放逐して日本を国際共産主義体制に組み込む予定であった。

ある意味欧米が言うところの第二次世界大戦はドイツ、イタリア、日本のナショナリスト国家対ソ連コミュンテルン連合と植民地社会主義宗主国連合の戦いであった。イギリス、アメリカも当時は自由・資本主義とは名ばかりの社会主義的経済体制になっていた。さらに米国大統領周辺にもソ連のスパイや共産主義シンパが多数おり、巧みに日本への包囲を完成させていた。

また世界経済の中枢を担っていたた多くのユダヤ人は非戦リベラルな態度をとりながら、英国の中東政策をイスラエル建国へ向けさせようとしていた。ドイツが中東、アフリカを席巻するとドイツ国内でイギリスを支援する動きが活発となり、その動きを押さえにかかったヒトラーはホロコーストを起こした。

もともとドイツ、イタリヤとはスタンスの違う日本政府はユダヤ人に対し保護を与えた。杉原千畝領事や樋口少将は独断でそれを実行している。当時の樋口少将の上司、東條英機関東軍参謀長は樋口の行為に対し、ドイツ当局が抗議をしてくると「日本はドイツと同盟はしているが、属国ではない。日本が何をしようが日本の権益が及ぶ範囲では貴国が口出しする権利は無い。陛下は助けを求める者を見捨てることはしない」とドイツの抗議を一蹴している。

当時の世界情勢はまさしく奇奇怪怪である。主義主張と実利が複雑の絡み合いまったく明日がどうなるか、分からない状況であった。情報を持つものと持たざるもの、持っていてもそれが事実なのかどうか、相互的に情報の非対称性があり意思決定が出来にくい状況であった。

イギリスを中心とするヨーロッパ各国はヒトラーの台頭を制限的に認めようとして失敗している。チャーチルは「ワニに食われないように祈りながら餌をやっている」と当時のことを回想しているように、ヒトラーの意図を正確にはわかっていなかった。

日本では陸海軍の情報系将校たちはエネルギーや鉱工業生産量、あるいは政治世界の潮流などを理由に開戦に反対していたが、参謀本部作戦課や軍令部作戦課などは軍事戦略的見地から開戦やむなしとしていた。これは一つの国や世界をまったく違う情報で分析、認知していることによるギャップである。

イギリス、フランスはヒトラーに対する対応が誤りだったことに気付くと一転、徹底的に叩き潰すことに政策を切り替えた。新たにリーダーとなったチャーチルは傍観しているアメリカに歯の浮くようなラブレターを送り、敵の敵は味方の論理でソ連を懐柔する。ヒトラーがソ連と敵対するとそれまでチャーチルのラブレターに見向きもしなかったアメリカだったが、ソ連のスパイやシンパがアメリカを対ヒトラー戦争へ参戦させた。

日本は最初から植民地宗主国、共産ソ連と対峙していたので英米ソが手を握った瞬間から世界を相手に開戦しなければならなかった。しかし叡慮を慮った東條首相は国策要綱の見直しを下令するも統帥権によりうやむやになりやむなく開戦した。

陛下は開戦と同時にバチカンへのパイプは絶やさないようにとの指示を側近に与えていたようであった。そしてこの戦争が植民地解放と共産主義への戦いであることを隠密裏にバチカンへ伝えているようであった。陛下のことを論ずることは畏れ多いことであるが、名君としての陛下があまり語られていないので少し続けたいと思う。

開戦後の陛下は一転、戦う君主になられた。真珠湾攻撃の攻撃隊隊長淵田美津雄の回想に、陛下へ真珠湾攻撃について御前説明したとき、淵田が自分で描いた図で攻撃の詳細を説明していると陛下は技術的な面にまで入る込んでご下問があったという。また戦況が悪化した19年、最初の神風特別攻撃隊について海軍が奏上すると「そのようなことまでやらなくてはならないのか。しかしよくやった」と言うことをおっしゃられた。

そうして終戦時ポツダム宣言受諾か否かで紛糾する御前会議において、自らが国民に対し責任を取ることを宣して立憲君主のお立場を逸脱するかたちで戦争を終結された。

天与のリーダシップ

本稿はリーダーシップについて論じることを目的としているので大東亜戦争についての歴史記述はここまでにするが、上記はリーダーシップについて多くの示唆を与えてくれる。
  1. あらゆる可能性を検討し、なおかつ広い視野を持つ。(陛下のバチカンに対する助言や経済的影響への憂慮など)
  2. 下された決定には従い、尚且つ率先垂範して行動する。(陛下は戦争には反対であったが国民民意として開戦してからは徹底して遂行に努力されている)
  3. 最後には責任を取る覚悟が必要。(自らの意思と違う決定が組織としてなされた場合でも責任者は自分であることを示すこと)
リーダーシップには天与のものと人与のものがある。たとえばトヨタが現在の状況を打開する為、創業家の章男氏が社長に就任したが、これなどは豊田章男新社長の個人的(人与)リーダーシップに期待するというよりは創業家という権威(天与のリーダーシップ)に組織が期待した例であろう。特に危機に際してはこの天与のリーダーシップが重要になるのである。組織構成員へ不利益な意思決定をしなければならない時(たとえば事業撤退のような)にはこの天与のリーダーシップが発揮されることになる。(実際はあまり機能しなかったというか章男社長に天与のリーダーシップが付与されていなかった。)

組織運営は好調時はだれが舵取りをしてもうまくいくものである。しかし一旦状況が悪化してくると組織構成員はリーダー不振に陥り、志気が落ち、組織行動が停滞して崩壊する。そういったときは(状況の悪化の度合いで)リーダーがたとえ人格的にすばらしく、知識豊富であっても人身把握が困難な場合がある。(前稿のようなリーダーシップが困難)そう言う最悪の状況下ではもはや天与のリーダシップを発揮しなければならない。

我国の現在の状況はまさしくこの天与のリーダーシップを欲しているのである。

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