国民が知っておきたい近現代史 ―終戦を考える

日本では8月15日は現在も終戦記念日であるとして政府も民間も各種式典を挙行している。しかし国際法規に照らし合わせてみると法的な終戦日は昭和27年4月28日になる。国際法においては宣戦布告とともに開戦が行われ、講和条約・平和条約締結とともに終戦を迎えると解釈されるからである

現在連合国各国は法的には停戦日である9月2日を戦勝記念日としている。韓国は光復節、北朝鮮も解放の日として8月15日を祖国解放記念日としている。ではなぜ日本では8月15日がこれほど鮮烈な印象を残しているのであろうか。それは玉音放送にあることは諸氏も想像に難くないであろう。

大東亜戦争終戦ノ詔勅

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰己ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民之赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力を將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

御名御璽

昭和二十年八月十四日

現代文
私は深く世界の大勢と日本の現状について考え、非常の手段によってこの事態を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。 私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連に対してポツダム宣言を受け入れることを通告せしめた。そもそも日本国民の安全を確保し世界の国々と共に栄えその喜びを共にすることは、私の祖先から行ってきたことであって私もそのように努めてきた。先に、米国・英国二国に宣戦を布告したのも、我が帝国の自立と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない。しかしながら、戦闘状態はすでに四年を越え、私の陸海将兵の勇敢な戦闘や、私の官僚・公務員たちの勤勉なはたらき、私の一億国民の努力、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦争における状況はよくならず、世界の情勢も我々には不利に働いている。それだけではない。敵は、新たに残虐な爆弾を使用して、何の罪もない多くの非戦闘員を殺傷し、その被害はまったく図り知れない。それでもなお戦争を継続すれば、最終的には日本民族の滅亡を招き、そして人類文明おも破壊することになってしまうだろう。そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子とも言える多くの国民を保ち、先祖の霊に謝罪することができようか。これこそが政府にポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。

私は日本とともに終始東亜の植民地解放に協力した友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。帝国臣民にして戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると体中が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。思うに、これから日本の受けるであろう苦難は、大変なものになる。国民たちの負けたくないという気持ちも私はよく知っている。しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。

私は、ここにこうして国体を守り、忠義で善良なあなた方臣民の真心を信頼し、そして、いつもあなた方臣民とともにある。もし、感情的になって争い事をしたり、同胞同士がいがみあって、国家を混乱におちいらせて世界から信用を失うようなことを私は強く懸念している。 国を挙げて一つの家族のように団結し、子孫ともども固く神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操を固く持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努めなさい。あなた方臣民は私の気持ちを理解しそのようにしてほしい。

詔勅に記載される渙発の日時は8月14日、この日は御聖断によって連合国が提案してきていた、ポツダム宣言を受諾する意志を通告した日である。もしポツダム宣言の受諾を持って終戦(停戦)記念日とすればそれはそれで全くおかしくはないのである。

しかし14日でもなく9月2日でもなく、本年も8月15日に全国戦没者追悼式典が挙行されている。あの日、日本人の記憶には61年経った今年でも「終戦」は8月15日なのだ。

大東亜戦争は侵略戦争だったと主張する日本人は開戦の詔勅とこの終戦の詔勅をよく読んでほしい。開戦の理由は東亜諸国の西欧列強からの解放であり、終戦の理由は

敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

である。敵が大量虐殺兵器を用いているのでこのままでは日本人が滅亡してしまう、これが理由だ。

日本軍は天皇陛下の詔勅が渙発されるや戦闘を停止する。先に書いた通り法的な停戦日である9月2日、この日陛下は誓約履行の勅書を

『朕ハ昭和二十年七月二十六日米英支各国政府ノ首班カ「ポツダム」ニ於テ発シ後ニ蘇聯邦カ参加シタル宣言ノ掲クル諸条項ヲ受諾シ帝国政府及大本営ニ対シ聯合国最高指令官カ提示シタル降伏文書ニ朕ニ代リ署名シ且聯合国最高司令官ノ指示ニ基キ陸海軍ニ対スル一般命令ヲ発スヘキコトヲ命シタリ朕ハ朕カ臣民ニ対シ敵対行為ヲ直ニ止メ武器ヲ措キ且降伏文書ノ一切ノ条項並ニ帝国政府及大本営ノ発スル一般命令ヲ誠実ニ履行セムコトヲ命ス』

と渙発している。

この間(8月15日~9月4日)8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄し宣戦布告を行ったソ連が満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に侵攻してきた。樺太では真岡郵便局では交換手10名が自殺を図り、その他職員も含め19名が殉職する真岡郵便電信局事件が起きている。

また玉音放送から数日でソ連に占領された長春の街で堀(松岡)喜身子婦長以下76名の婦女子はソ連軍によって拘束される。この日から彼女たちの悲劇が始まる。

満州従軍看護婦実話(1)
満州従軍看護婦実話(2)
満州従軍看護婦実話(3)

筆者は近現代史において薫陶を頂いた故名越二荒之助先生のお供で埼玉県にある青葉慈蔵尊の年次法要に何回か参列されて頂いたことがあり、堀(松岡)喜身子婦長ご本人の講演を拝聴したこともある。

堀(松岡)喜身子婦長はそれらの場で常に「この悲劇を語り継いで行きたい」と強い決意を語られていた。この言葉を聞くとあるイデオロギーの人達は「反戦」や「非戦」を言うが、松岡婦長は軍事力なき国際法の無力性とその悲劇を語っているのである。

婦長は「いくらソ連軍とはいえ、世界各国で公認されている赤十字を背負う看護婦に、間違った扱いなどしないだろう。」と考えておられたのだが、ソ連は彼女ら看護婦をソ連兵の慰安婦に利用、役に立たなくなると虐殺していたのである。

玉音放送のあと、日本軍は直ちに戦闘停止命令を発令する。連合国軍もその降伏の意思を確認の上、戦闘を停止し各部隊間で順次兵器の引渡し等の武装解除を行うことになる。降伏文書に調印する9月2日までは法的には自衛的な戦闘は行っても差し支えないということだ。

ソ連はそのような国際法規を無視して各地で残虐行為を行っている。日本軍は陛下が戦争を終結を宣言したあとは、抵抗を終了している。それはGFQ占領下でもかわりない。現代の戦争でも占領軍に対するテロ活動が頻発する。日本軍は占領軍に対するテロを一切行っていない。つまり法的な拘束より陛下の言葉に従っているということだ。

大東亜戦争というのは陛下が鉾を上げることを宣言開戦し、鉾を納めると決意されたと同時に終戦したのである。それは古今東西世界の戦争の歴史でも稀有なことであり、特筆すべきことなのである。

しかしソ連のような国際信義無視の独裁国家が相手の場合、真岡郵便電信局事件や青葉慈蔵尊の秘話のような惨劇が起こってしまう。自国の軍事力の背景のない一般人は、他国の支配地ではいかに弱い存在であるかを示す証左でもある。

玉音放送の後の関東軍は移留民保護のためソ連軍ともっと戦闘を継続してもよかったのではと悔やまれる。それほど日本人にとって8月15日の玉音放送は法律以上に重たい出来事なのであった。日本人にとって大東亜戦争終戦は永遠に8月15日なのである。

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